「能力の差」はもう重要ではない...AIが進化した今、社会と乖離してしまった「教育」はどうあるべきか?
大賀:なるほど。まさに『冒険の書』というタイトルの通りですね。この本には、AIの進化によって能力の差はそれほど重要でなくなっていくため、大人も子どもも能力信仰から離れて「好き」を追究するのがいい、という一本の筋が通っているのを感じます。ロックやルソー、親鸞など、世界の思想家や宗教家たちの系譜をたどるなかで、「100%そのとおり」と思いました。一方で、正直なところ「はたして自分はアンラーニングできるのだろうか?」と恐れも抱きました。それほど生産性や革新性を求める発想に染まってきたのでしょうね。
私自身は自分らしく生きる人が増えてほしいと願っています。ですが息子がゲームばかりしていると、宿題をしてから遊びなさいと言ってしまう。それに、会社のメンバーが好きなことだけをして成果が全く出ないとしたら問題だと思ってしまいます。好きなことをしながらも世の中をわたっていけるようにと、理想と現実とのはざまにいるんです。
孫:僕も「好きなことだけやればいい」と書きながらも、それで失敗した人にダメージをくらうと、イラッとしていますからね(笑)。実際、この本を書くなかで、理想と現実の折り合いをどうつけるか葛藤して、幾度となく筆が止まりました。
大賀:今の社会で好きを追究していける人は、大谷翔平選手のように特別に秀でた才能を発揮しているごく一握りの人ではないか、とも思ってしまいます。残りの人はもっと多種多様な欲望を抱えていて、「好き」だけでやっていけないのではと思うのですが、泰蔵さんは後者の人たちにはどう声をかけますか。
孫:僕が願うのは、一握りの人ではなく、誰もが心の底から好きなことができる世の中です。好きなだけ寝たりYouTubeを見たりしてもいい。なぜなら人生100年時代なので、そのうち数年YouTubeを見ていたとしてもまた他のことをしたくなるだろうと思うんですよね。 仮に何年か「無駄」に過ごしても、そんなの長い人生の中では誤差じゃないかと(笑)。
「好きなことをしていると生計をたてられない」というのは、サラリーマン特有の防衛本能が働いているのかもしれません。けれど、実際にお金にならないことをしていても、複数の人にちょっとずつ依存しながら最小限の衣食住さえ確保すれば、実はだいたい何とかなるもんなんですよね。根拠のない防衛本能を乗り越えた世界に飛び込んでみたら、そこには解放された世界があります。