自作曲を歌うたび「使用料」を払う必要が...... 「歴史に残る名曲」56曲の著作権を1500万円で手放したビートルズの後悔
株式の売却という身内の裏切り
ノーザン・ソングスが株式公開をしてわずか4年後の1969年、最大株主だったディック・ジェイムズは、ノーザン・ソングスの株を第三者に売却してしまう。株式公開しているので、そういうことはあり得ないことではなかった。
そもそもノーザン・ソングスは、ビートルズの楽曲の版権を持っているため、いろんな企業、投資家の垂涎(すいぜん)の的だった。が、ビートルズは、ディック・ジェイムズは一緒にノーザン・ソングスを起ち上げた身内だと思っていたので、寝耳に水の話だった。
もちろん、ディック・ジェイムズが株を売ったのには理由がある。この1969年当時には、ビートルズは解散の噂がささやかれていた。
彼からすれば、ビートルズが解散し、ノーザン・ソングスの株価が下がるのを恐れ、株の売却を考えていた。そこで大手テレビ局ATV(現ITV)に売ったのである。
ただ、ディック・ジェイムズが、ノーザン・ソングスの持ち株をATVに売ろうとしたとき、ビートルズは「自分たちが買うから待ってほしい」と待ったをかけていた。
しかし彼は、ビートルズのもとへ出向き説明はしたが、ATVへの売却の意思は変わらなかった。当時のビートルズは、アップル社の大赤字により破産寸前の状態であり、とてもノーザン・ソングスの株を買い取る余裕はなかったのだ。
自分の曲を演奏するために「使用料」を払う羽目に......
株式公開当時、7シリング9ペニーだったノーザン・ソングスの株は、この売却時には約5倍の37シリングに跳ね上がっていた。ディック・ジェイムズは巨額の現金を手にしたうえに、300万ポンド分のATVの株も受け取ったのである。
しかも彼は、ノーザン・ソングスがATVに買収されると、ATV役員の席にちゃっかり収まってしまう。ビートルズとしては、非常に裏切られた気持ちになったのだ。
また、ビートルズはこのとき、さらに大きな過ちを犯している。ビートルズの新マネージャーとなったアラン・クラインの提案により、ビートルズ側も保有していたノーザン・ソングスの株をATVに売ってしまったのだ。
アラン・クラインは、ディック・ジェイムズが売った価格の倍の価格でATVに買い取らせたので、ビートルズは、いったんは大きなお金を手にすることができた。経営破綻寸前だったアップルにとっては、かなりありがたい資金となった。
しかし、ビートルズは将来的には大損することになる。
ジョンとポールは、この時点でノーザン・ソングス社の株主ではなくなった。
レノン=マッカートニーの楽曲の権利は、ほとんどノーザン・ソングスが所有している。そして、ビートルズがノーザン・ソングスの株主でなくなるということは、彼ら自身がつくった曲の権利を、彼らはまったく持たないということになったのだ。
そのため、ジョンとポールは、自分たちのつくった曲からの印税収入をまったく得られなくなるばかりか、自分たちが自由に演奏することさえできなくなったのだ。彼らは演奏するたびに、ノーザン・ソングスに使用料を払わなければならなくなったのだ。
ジョンとポールが夫婦で合作するようになった
ビートルズの仲が悪くなった1969年ごろから、ジョンとポールは、それぞれソロ活動をするようになる。が、ジョンは妻のヨーコ(最初の妻シンシアとは1968年に離婚した)と、ポールも妻のリンダと曲を共作するようになった。
まるでジョンとポールが、お互い当てこすりをし合っているような構図だが、じつはここにも「ノーザン・ソングスの問題」が大きく絡んでいるのだ。