読む人の心を撃つ「うまい文章」を書くためのシンプルな三原則
人は、うまい文章を書きたがる。切れる刀をもちたがる。敵(読者)をなぎ倒す。
しかし、その「うまい文章」は、はたして、「いい文章」なのか。
文章が、主体の感情、判断、思想を乗せて走るクロネコヤマトだとすると、そして受け取り印は読者の心が揺れたという現象だとすると、うまい文章に、喜んで受け取り印が押されるわけではないのではないか。
うまい文章などいらない。「いい文章」を受け取りたい。お客さんは、そう、思っているのではないのか?
ここで、ついに問いが変奏される。
いい文章とはなにか。
文字どおり、人を、いい心持ちにさせる文章。落ち着かせる文章。世の中を、ほんの少しでも住みいいものにする文章。風通しのいい文章。ギラギラしていない、いい鞘に入っている、切れすぎない、つまりは、徳のある文章。
切れすぎる刀は、人を落ち着かなくさせる。余裕がほしい。ふくらみが、文章にはほしい。
では「ふくらみ」とはなんなのか。
ここでは、「誤読の種を孕(はら)むこと」と言っておく。この本の最後の弾丸、第25発で、リプライズされるはずだ。
<記事後半はこちら:「いい文章を書くなら、絶対に避けるべき『としたもんだ表現』の悪癖」>
※本記事(前・後半)は2021年10月26日号「世界に学ぶ 至高の文章術」特集掲載の記事の拡大版です。