1日30万円稼ぐ「カリスマリンゴ売り」 妻子6人を行商で養う元ジャズピアニストの半生
リンゴ売りで元ジャズピアニストの片山玲一郎さん。撮影=川内イオ
東京・世田谷にリンゴの「行商」で妻と5人の子どもを養う男性がいる。ムカイ林檎店の片山玲一郎さんの売り上げは1日あたり10~15万円。多い日には30万円にもなるという。リンゴを売って生計を立てる元ジャズピアニストの数奇な半生を、フリーライターの川内イオ氏が描く──。
コンビニの駐車場にて
「今、あの人に声かけてきますね」
そう言うと、片山玲一郎さん(38)は軽やかに歩き出した。片山さんはリンゴの行商を生業にしていて、妻と5人の子どもを養っている。
この日、僕は10時から2時間ほど、片山さんの行商に同行させてもらった。僕から質問や撮影をしながらになるので、片山さんのもとで行商歴9年のマキさんが、サポートについてくれた。
行商とはなにか? 検索してみると、「店を構えず、商品を持って売り歩くこと」(デジタル大辞泉)とある。片山さんの仕事は、まさにそのまま。軽バンに青森県大鰐町(おおわにまち)から仕入れたリンゴとリンゴジュース、リンゴの花から採れたはちみつ、片山さんの妻が手作りしたリンゴジャムとリンゴチップスの計5品を収め、路上や空きスペースに車を止めて、商品を売っている。
当然、疑問が湧いてくる。それってどれだけ稼げるの? 家族7人、ちゃんと暮らせるの?
爽やかな白いシャツにベストを着て、チェックのマフラーを巻き、細身のジーンズにブーツ。身長が高く、スラっとしていて、美容師やカフェの店長のような雰囲気の片山さんが「こんにちは!」と話しかけたのは、コンビニの駐車場で誰かを待っている様子だった、紺色の作業着を着た年配の男性。
いきなりのことに戸惑っているように見えたけど、数十秒後には軽バンのところまで来てリンゴの説明を聞き、その1分後には1キロ550円のリンゴが入った袋を受け取り、戻っていった。
僕は、あまりにスムーズにリンゴが売れる様子に目を疑ったが、これは序章に過ぎなかった。その後の2時間弱で、片山さんとマキさんのコンビは、約2万円の商品を売った。軽バンの助手席でひたすら驚く僕に、片山さんはほほ笑んだ。
「僕は普段、1日10~15万円は売ります。今日は売るぞって決めた時は、30万はいきますよ」
この記事は、行商という昔ながらの商売をしながら大家族でホッコリと暮らす人の紹介ではない。路上でリンゴを売って驚くほどの月収を稼ぎ出す、前代未聞の行商人の物語だ。
世界的奏者の言葉
片山さんは1982年、徳島県徳島市の「飲み屋街のど真ん中」で生まれた。父親はそこでクラシック音楽を流すバーを経営していて、母親はクラシックのピアニスト。片山さんも幼い頃から店に出入りしていて、「親以外の大人の最初の記憶が、店の酔っぱらい」と笑う。
最初に学校に行かなくなったのは、小学5年生の頃。学校で自分のある行動を教師から注意された時に、なぜダメなのかと問うと、「そういう口答えするのがあかん。ダメなものはダメだ」と言われた。悪いことをしたつもりがなかった片山さんは、その日の夜、父親のバーに来ていたお客さんに、学校であったことを話した。
「ダメだという理由を説明しないのは、きっとその人もなぜダメなのかわからないんだ。その先生は、君が自由にふるまうことを恐れてるんじゃないかな。音楽でも、自由にやられると怖い時がある。だけど、もしかしたらすごくいい演奏になるかもしれないから、練習の時はできるだけ自由にやってもらうようにしている」
通訳を介してそう答えてくれたのは、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の世界的に著名なフルート奏者ウォルフガング・シュルツさん(2013年没)。当時、父親のバーはクラシック好きには知られた存在で、海外の楽団も四国公演があるとよく訪れたのだ。
シュルツさんと同じように、夜のバーで出会う大人たちは、片山さんの質問に、自分の言葉で答えてくれた。それが嬉しくて、いろいろな話をするようになった。一方で、学校に行くと教師から煙たがられた。間もなく、不登校になった。修学旅行も、卒業式も出なかった。