最新記事

コミュニケーション

1日30万円稼ぐ「カリスマリンゴ売り」 妻子6人を行商で養う元ジャズピアニストの半生

2021年2月9日(火)14時15分
川内イオ(フリーライター) *PRESIDENT Onlineからの転載

reuters__20210209140453.jpg

リンゴを手に笑顔の片山さん。(撮影=筆者)

中学1年生で"中退"

中学生になると、気が変わってもう一度学校に通い始めたが、「これ(この勉強)って大人になってから使うんですか?」などなど教師が答えに詰まる質問を連発していると、そのうちに、ほとんどの教師から疎まれるようになった。朝、学校に行くと「今日はテストが近いから、お願いだから帰ってほしい」と頼まれたこともあった。それならと、中学1年生の1学期で学校に行くのをやめた。

小学校の時から、母親には「学校に行かんのなら、自分で仕事を見つけないといかん」と言われていたので、入ったこともない近所の美容院に行き、「すいません、働きたいんです」と頼み込んだ。「いくつなん?」と言われたので、「18です」と答えると、「うそでしょ」と笑われたので、18歳だと言い張った。そこで学校に行っていない事情を話すと、時給500円で雇ってくれた。それから週に数回、美容院に通って仕事を覚えた。

ちょうどその頃、雑誌でナイキのエアマックスシリーズが人気になり、プレミア価格で取引されていることを知った。片山さんは自分で働いて貯めた10万円と、祖母から借りた10万円でエアマックスを何足も仕入れ、一番高値になったと判断したタイミングで地元のいくつかの中学校を回り高値で売りさばいた。祖母にお金を返した後も、30万円以上が手元に残った。

余命3カ月の少年に起きた奇跡

それからしばらく時が経ち、知り合いの紹介でコンサートスタッフとして働き始めた15歳の時。ある日突然、吐血して病院に運び込まれた。悪性リンパ腫で余命3カ月という診断だったが、片山さんには告げられず、母親は本人に直接告知するように看護師長に頼み込んだ。看護師長は病室に来て、病気の説明をした後に言った。

「あなたの命は、長くて3カ月ぐらいになると思う。目安なんだけど、あと100日ぐらいで死んでしまうと思うから、今を楽しんでね」

あまりに淡々と告げるので、片山少年も、思わず「はい、わかりました」と答えた。突然の死の宣告は悲しむというより、すべて受け入れるしかなかった。以来、看護師がみな優しくなり、父親は息子の悲運を受け入れられず、母親しか見舞いに来なくなった。

告知された後、もうすぐこの世を去る自分に残るものは「名前」しかないと考えた片山さんは、名前の由来や漢字1文字ずつの意味を知りたくなった。誰かが病院に忘れていった『広辞苑』を手に取ったのがきっかけで、看護師から漢字の成り立ちを解説した『新字源』という辞書があると聞き、母親に頼んで手に入れて、「片」「山」など名前の漢字を調べた。

『新字源』を見ているとほかの漢字にも興味がわき、漢字の勉強を始めた。余命3カ月なのに、半年後に開催される漢字検定を受けようと思い立ち、起きている時間のほとんどを漢字の調べものにあてた。その熱量は、余命僅かなことを忘れるほどだったという。

毎日、汗をかくほど漢字の勉強に熱中していたら、しばらくして耳を疑う事態が起きた。がん細胞が突然、消えてなくなったのだ。投薬治療が始まる前だったので、がん細胞がなぜ、どこに消えたのか、医師にも説明ができなかった。

「何十年も医師をやってきて、奇跡の話は聞くけど、目の当たりにしたのは初めてです。とにかく、おめでとうございます」

間もなく退院した片山少年は、自分がなぜ生き残ったのかを考えた。まるで命がなにかのふるいにかけられたような体験の後に出てきた答えは、病気を忘れるほど漢字に没頭したから、まだやりたいこと、伝えたいことがあるから、生かされた。そう実感し、それ以来、自分の本音、心の声と真剣に向き合って生きていこうと決めた。

楽屋の雑用係に

コンサートスタッフに復帰すると、闘病のことを知っていた職場の人たちが「お前はいつ死ぬかわからんから」と、楽屋付きの雑用係につけてくれた。座布団が欲しいと言われたら走って取りに行く役割だ。本番が始まると、舞台の袖で公演を見ることができるという特権もあった。その仕事で見た光景、聞いた言葉は、今も脳裏に焼き付いている。

20年ほど前の野村萬斎さんの公演の時。狂言師の仕事は、代々受け継がれる。でも、自分が父親の店を継がなくてはならないと言われたら、絶対に嫌だ。萬斎さんがその運命をどう捉えているのかと気になった片山さんは、楽屋の廊下を歩いていた萬斎さんに尋ねた。

「宿命って、あると思いますか?」

萬斎さんは、視線を片山さんに向け、目をクワッと開いて、「御覧の通り!」と一言。片山さんは、その言葉がうわべの意味ではなく、「音」として、真実の響きを持っているように感じた。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

韓国尹大統領に逮捕状発付、現職初 支持者らが裁判所

ワールド

アングル:もう賄賂は払わない、アサド政権崩壊で夢と

ワールド

アングル:政治的権利に目覚めるアフリカの若者、デジ

ワールド

アングル:フィリピンの「ごみゼロ」宣言、達成は非正
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:トランプ新政権ガイド
特集:トランプ新政権ガイド
2025年1月21日号(1/15発売)

1月20日の就任式を目前に「爆弾」を連続投下。トランプ新政権の外交・内政と日本経済への影響は?

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「拷問に近いことも...」獲得賞金は10億円、最も稼いでいるプロゲーマーが語る「eスポーツのリアル」
  • 2
    【クイズ】世界で1番マイクロプラスチックを「食べている」のは、どの地域に住む人?
  • 3
    「搭乗券を見せてください」飛行機に侵入した「まさかの密航者」をCAが撮影...追い出すまでの攻防にSNS爆笑
  • 4
    感染症に強い食事法とは?...食物繊維と腸の関係が明…
  • 5
    女性クリエイター「1日に100人と寝る」チャレンジが…
  • 6
    【クイズ】次のうち、和製英語「ではない」のはどれ…
  • 7
    失礼すぎる!「1人ディズニー」を楽しむ男性に、女性…
  • 8
    フランス、ドイツ、韓国、イギリス......世界の政治…
  • 9
    本当に残念...『イカゲーム』シーズン2に「出てこな…
  • 10
    オレンジの閃光が夜空一面を照らす瞬間...ロシア西部…
  • 1
    ティーバッグから有害物質が放出されている...研究者が警告【最新研究】
  • 2
    体の筋肉量が落ちにくくなる3つの条件は?...和田秀樹医師に聞く「老けない」最強の食事法
  • 3
    睡眠時間60分の差で、脳の老化速度は2倍! カギは「最初の90分」...快眠の「7つのコツ」とは?
  • 4
    「拷問に近いことも...」獲得賞金は10億円、最も稼い…
  • 5
    メーガン妃のNetflix新番組「ウィズ・ラブ、メーガン…
  • 6
    轟音に次ぐ轟音...ロシア国内の化学工場を夜間に襲う…
  • 7
    【クイズ】世界で1番マイクロプラスチックを「食べて…
  • 8
    北朝鮮兵が「下品なビデオ」を見ている...ロシア軍参…
  • 9
    ドラマ「海に眠るダイヤモンド」で再注目...軍艦島の…
  • 10
    【クイズ】次のうち、和製英語「ではない」のはどれ…
  • 1
    ティーバッグから有害物質が放出されている...研究者が警告【最新研究】
  • 2
    大腸がんの原因になる食品とは?...がん治療に革命をもたらす可能性も【最新研究】
  • 3
    体の筋肉量が落ちにくくなる3つの条件は?...和田秀樹医師に聞く「老けない」最強の食事法
  • 4
    夜空を切り裂いた「爆発の閃光」...「ロシア北方艦隊…
  • 5
    インスタント食品が招く「静かな健康危機」...研究が…
  • 6
    TBS日曜劇場が描かなかった坑夫生活...東京ドーム1.3…
  • 7
    「涙止まらん...」トリミングの結果、何の動物か分か…
  • 8
    膝が痛くても足腰が弱くても、一生ぐんぐん歩けるよ…
  • 9
    「戦死証明書」を渡され...ロシアで戦死した北朝鮮兵…
  • 10
    「腹の底から笑った!」ママの「アダルト」なクリス…
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中