マーケティングが環境問題の解決に向かうまで
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<「モノを大量に売る」ために生み出されたマーケティングは、1960年のレーヴィットによる批判を経て、コトラーによる「ソーシャル・マーケティング」へと進化した>
近代産業社会の誕生と近代マーケティングの登場
「モノを大量に売る」ということは、近代産業社会における近代企業の基本的なビジネス戦略である。
自社の製品やサービスの販売を促進するためのビジネスツールとしての考え方がマーケティング(マーケット=市場における販売促進活動)の基本であり、そうした新しいビジネス概念を醸成させたのは、17世紀後半~18世紀半ばにかけての英国の産業革命である。
この産業革命によって、能率的な生産方式・能率的な労働生産性を基盤とした「大量生産-大量消費」(Mass Production-Mass Consumption)という近代産業社会が生み出されたのである(松野 2014)。
近代マーケティングという概念がビジネス活動の戦略的ツールとして顕在化したのは、20世紀初頭の米国において、自動車王と呼ばれるフォード社のヘンリー・フォード社長が「T型フォード」という新しい大衆自動車の販売戦略として使用したのが端緒であったといわれている。
T型フォードは発売の1908年から1927年までに世界で1500万台以上販売されたとされている。その背景には、(1)「フォードシステム」(Ford System)という大量生産システムと(2)「フォーディズム」(Fordism)というそのシステムを支える経営哲学の二つの要素を工場に導入し、製品の価格を低価格に抑えたことがあった。
具体的には、当時、2ドアセダンの一般的な価格は1000ドル以上していたものを1908年には850ドル、さらに、1925年には300ドルまで引き下げたのである。
こうした低価格の大衆車を大量生産し、価格を引き下げることによって、それまで富裕層しか買えなかった自動車が一般大衆でも購入できるようになった。つまり、「大量生産-大量消費」による製品価格の引き下げ戦略により、消費市場が拡大し、市場の販売促進のための「マーケティング」(Marketing)という科学的な新しい販売戦略コンセプトが生み出されたのである(Bachelor 1995)。
1935年にアメリカ・マーケティング協会(American Marketing Association=AMA)の前身の全国マーケティング教師協会(National Association of Marketing Teachers)が提示した最初のマーケティングの定義は、「マーケティングとは、生産から消費までの財とサービスの流れに相関する事業活動を含むものである」という簡単なものであったが、基本的には、企業の私的利益追求のためだけの経営戦略ツールであった(アメリカ・マーケティング協会は1937年に設立された)。
この考え方は同協会の1960年のマーケティングの定義、「マーケティングは、生産者から消費者あるいは利用者に対し、商品およびサービスの流れを方向づける種々の企業活動の遂行である」というように維持されていった。
これらを背景として、欧米の先進国では、モノの大量消費を可能にする「高度消費社会」が到来・発展し、製品管理や顧客管理を対象とした、近代マーケティング概念が進化していったのである。
こうしたマーケティングの考え方の根底にあるのは、企業が生産したものを消費者に買わせるための戦略的手法であって、顧客のニーズやウォンツを把握した上で、製品やサービスを売るというマーケティングはまだ企業側にはなかったのである(熊倉 2016)。
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