女性エベレスト隊隊長に学ぶ、究極の準備(前編)
こうした問いに答えられるのはあなただけだ。自分とチームが成功するために人事は尽くした、という気分で登山に臨みたい。いったん山に入ったら、何もかもがあなたの邪魔をする。寒さ、風、高度、体力の低下、精神的な壁、予備のトイレットペーパーをくすねるチームメイト――何もかもが、だ。コンディションが万全でないというのは言い訳にならない。万全のコンディションで臨むのがあなた自身の責任であり、それ以上にチームに対する責任でもある。リーダーたるもの、前もって戦闘態勢を整えておくべきだ。リーダーは人並み以上に期待されるもの。心身共に期待を上まわる成果を示さなければならない。
ゴールドマン・サックス時代
高所遠征トレーニングは誰にとっても楽ではないが、特に苦労するのが、普段は近くに山がなくて代わりのトレーニング方法を探さなければならない人たち―たとえばこの私だ。二〇〇一年、アメリカ初の女性エベレスト遠征隊の準備をしていた頃の私は、ビジネススクールを卒業してゴールドマン・サックスに入社して一年目。ニューヨーク本社で九カ月勤務した後、サンフランシスコ支社に異動になったばかりだった。ゴールドマンに就職できるなんて思ってもいなかった。他の志願者はアイビーリーグの名門大学を出ていて、MBAの取得前に金融業界で勤務した経験のある人も多かった。それに引き替え、私はアリゾナ大学の教養学部出身で、金融や会計の予備知識はゼロだった。ビジネススクールでの定量分析手法の授業の成績もぱっとしなかったから、なおさら一流金融企業への就職は見込み薄に思えた。それでも粘り強さと意欲と決断力だけはあった。それにビジネススクールが休みの間に登山に出かけたときはいつも企業の採用担当者に絵はがきを送っていたから、独創性の点数は多少稼げたと思う(CFAのクラスから絵はがきを送るより目立つので)。それに、少なくとも金融の仕事を覚えるくらいの知性は持ち合わせていると、採用担当者に思ってもらえたらしい。
ビジネススクールに入学したのはいつか冒険旅行会社を経営したいと思ったからで、まさか自分が投資銀行で働くとは思っていなかった。でも金融は学びたかったので、それにはウォール街の企業が一番だと考えた。当然ながら、ゴールドマンでの仕事では毎日が緊張の連続だった。まわりは市場に情熱を持っている人たちばかり。同僚のほとんどは午前五時か六時には席に着いていて、もっと早く出社している人も多かった。毎日そんなに朝早くから何をしているのか、確実なところはわからなかったけれど、とにかくみんな忙しそうな様子だった。それなら私にもできそうだった――ひたすらコンピューターの画面を見つめて、市場の動向に応じてうなずくなりオーバーに頭を左右に振るなりすればよかった。
ゴールドマン・サックスではうまくやりたいと本気で思っていた。何と言っても、そもそもゴールドマンに就職しようなどというのが一か八かの賭けで、危険を冒して私を採用した人たちを失望させたくなかったのだ。私なんかを採用したのは世紀の大失敗だったといつかきっと後悔することになるはずだけれど、私としてはせっかくのチャンスを今すぐふいにしたくはなかったので、朝早くから夜遅くまで働いて、大物に会う資格があるふりをした。受話器を手に取り、周囲に聞こえるように大きすぎるくらいの声で話した。「はい、そうですね、ゲイツさん......ええ、オーケー、ビル......あなたがどうしてもと言うなら......ええ、火曜日に。ええ、午前一〇時で結構よ。メリンダによろしく」
もちろん電話の向こうには誰もいない。私に会ってくれる見込み客なんているとは思えなかった。そのせいか、歩合はまったく稼げず、社内の実務アシスタントの大半より給与も安かった。彼らのほうが私よりも仕事ができたからだ。ゴールドマンになじめないと感じながらも、私は絶対にうまくやってみせると決意していた。大いに学び、仕事にはうんざりしていたけれど会社と同僚たちのことはとても好きだった。それに仕事を楽しんでいるかどうかは関係なかった――労働契約を結んだのだし、失敗したくはなかったのだ。
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