最新記事

日本経済

アベノミクスが得た意外な「援護射撃」

政府債務の臨界点を提唱した権威ある論文の「間違い」が指摘され、緊縮政策の是非も逆転しそう

2013年5月15日(水)15時29分
アンソニー・フェンソム

市場も歓迎 GDPの90%という制限が外れてアベノミクスはさらに勢いづくかも Toru Hanai-Reuters

 巨額の借金を抱えている国の政府は、アメリカの大学院生の「発見」に安堵しているかもしれない。

 これまでは、ハーバード大学の教授が10年に発表した著名な論文に基づき、政府の債務から金融資産を引いた純債務がGDPの90%を超えたら緊縮財政を発動すべき、というのが政策担当者の常識になってきた。

 しかし先週、マサチューセッツ大学アマースト校の大学院生トーマス・ハーンドンがこの論文の間違いを指摘。90%を超えても経済にそれほど深刻な影響はないと反論した。

 日本政府の純債務はGDPの134%で、財政破綻したギリシャの155%に近く、中国も100%近いという見方もある。こうした国々にとっては、ハーンドンの主張は朗報だ。
 
 間違いを指摘された研究論文は、ハーバード大学のカーメン・ラインハートとケネス・ロゴフ両教授による「政府債務と経済成長」。純債務がGDPの90%を超えると経済成長に深刻な影響を及ぼすと結論付けた。

 ハーンドンは2人の論文を検証した結果、研究対象だった20カ国のうち5カ国が主要な計算から漏れていたことを発見。表計算ソフトの操作ミスも明らかになった。ハーンドンも政府債務と経済成長に関連性があること自体は認めているが、ラインハート論文が結論付けたほどの悪影響はないとしている。

安倍の財政出動は正しい

 ラインハートの論文は多くの有力者から支持されてきた。ポール・ライアン米下院議員(昨年の大統領選の共和党副大統領候補)やオッリ・レーン欧州委員会副委員長(経済・通貨問題担当)も、この論文を根拠に緊縮策の必要性を主張した。

 こうした論調はアメリカやユーロ圏に限ったことではない。日本の安倍晋三首相による「アベノミクス」に対しても、財政赤字をさらに膨らませるものだとの批判があった。ここまで一定の成果が出ているように見えるにもかかわらず、だ。

 他方、プリンストン大学のポール・クルーグマン教授は緊縮財政に批判的だ。クルーグマンは日本経済について、インフレや資産価値の高騰によるバブルが問題ではなく、むしろ金融財政政策に対して過度に慎重だったことが問題だと指摘する。

「日本経済は(金利が極限まで低下する)典型的な『流動性の罠』にはまったままだが、こういうときに頼りにすべき財政政策は小出しにしかしてこなかった」と、クルーグマンは先日、ニューヨーク・タイムズ紙に書いている。「その点、機動的な財政出動と真のインフレを目指す政策との組み合わせであるアベノミクスは正しい政策で、遅過ぎたぐらいだ」

 富士通総研のマルティン・シュルツ上席主任研究員は今回の「間違い」の発見について、「別に驚きはない」と言う。彼によれば、公的債務は一定の水準を超えると経済成長に影響を及ぼし始めるのはほぼ確かで、ラインハートらが主張するGDPの90%という数値は絶対的な基準ではなく、その国の経済状況によって変わるものだ。

「例えば新興国では、生産活動に寄与するインフラなどを整備するためなら、多少債務が増えるのも悪くない。だが高齢化が進む低成長経済においては、債務の水準が低くても問題だ。なぜなら政府の借金はたいてい年金などに使われてしまい、若い世代の将来に影響するかもしれないからだ」

 政府の借金はどこまで許されるのか。簡単に答えは出ない。それでもユーロ危機が示したように、重債務国の国民が困窮を強いられることだけは確かだ。

From the-diplomat.com

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

トランプ氏、米軍制服組トップ解任 指導部の大規模刷

ワールド

アングル:性的少数者がおびえるドイツ議会選、極右台

ワールド

アングル:高評価なのに「仕事できない」と解雇、米D

ビジネス

米国株式市場=3指数大幅下落、さえない経済指標で売
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:ウクライナが停戦する日
特集:ウクライナが停戦する日
2025年2月25日号(2/18発売)

ゼレンスキーとプーチンがトランプの圧力で妥協? 20万人以上が死んだ戦争が終わる条件は

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    口から入ったマイクロプラスチックの行く先は「脳」だった?...高濃度で含まれる「食べ物」に注意【最新研究】
  • 2
    人気も販売台数も凋落...クールなEVテスラ「オワコン化」の理由
  • 3
    がん細胞が正常に戻る「分子スイッチ」が発見される【最新研究】
  • 4
    1888年の未解決事件、ついに終焉か? 「切り裂きジャ…
  • 5
    飛行中の航空機が空中で発火、大炎上...米テキサスの…
  • 6
    ソ連時代の「勝利の旗」掲げるロシア軍車両を次々爆…
  • 7
    私に「家」をくれたのは、この茶トラ猫でした
  • 8
    動かないのに筋力アップ? 88歳医大名誉教授が語る「…
  • 9
    【クイズ】世界で1番マイクロプラスチックを「食べて…
  • 10
    ビタミンB1で疲労回復!疲れに効く3つの野菜&腸活に…
  • 1
    口から入ったマイクロプラスチックの行く先は「脳」だった?...高濃度で含まれる「食べ物」に注意【最新研究】
  • 2
    がん細胞が正常に戻る「分子スイッチ」が発見される【最新研究】
  • 3
    戦場に「北朝鮮兵はもういない」とロシア国営テレビ...犠牲者急増で、増援部隊が到着予定と発言
  • 4
    人気も販売台数も凋落...クールなEVテスラ「オワコン…
  • 5
    動かないのに筋力アップ? 88歳医大名誉教授が語る「…
  • 6
    朝1杯の「バターコーヒー」が老化を遅らせる...細胞…
  • 7
    7年後に迫る「小惑星の衝突を防げ」、中国が「地球防…
  • 8
    墜落して爆発、巨大な炎と黒煙が立ち上る衝撃シーン.…
  • 9
    ビタミンB1で疲労回復!疲れに効く3つの野菜&腸活に…
  • 10
    「トランプ相互関税」の範囲が広すぎて滅茶苦茶...VA…
  • 1
    週刊文春は「訂正」を出す必要などなかった
  • 2
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる唯一の方法
  • 3
    【一発アウト】税務署が「怪しい!」と思う通帳とは?
  • 4
    口から入ったマイクロプラスチックの行く先は「脳」…
  • 5
    「健康寿命」を延ばすのは「少食」と「皮下脂肪」だ…
  • 6
    1日大さじ1杯でOK!「細胞の老化」や「体重の増加」…
  • 7
    がん細胞が正常に戻る「分子スイッチ」が発見される…
  • 8
    戦場に「北朝鮮兵はもういない」とロシア国営テレビ.…
  • 9
    有害なティーバッグをどう見分けるか?...研究者のア…
  • 10
    世界初の研究:コーヒーは「飲む時間帯」で健康効果…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中