最新記事

金融

ウォール街の更生を目指す数学オタク、ウィルモット

博士号と数式を武器に複雑な金融商品を生み出すクオンツたちを救う講座が人気。数式を過信したことが金融危機の元凶という数学者ポール・ウィルモットの戦い

2009年7月15日(水)18時45分
マシュー・フィリップス

旧世代 金融工学の始祖の一人、マイロン・ショールズ。98年のヘッジファンド危機を引き起こした(写真は08年) Phil McCarten-Reuters

 エンジニアが最新鋭のジャンボ機を設計している。ちゃんと空を飛ばすには、物理学者が150年前に考案した航空力学の方程式を満たさないといけない。「力=質量×加速度」というニュートンの運動の第2法則に基づくものだ。

 けれども、エンジニアはエレガントな機体を設計したい。そうなると質量が増し、力が不足する。方程式を満たせなくなる。

 そんなとき、エンジニアが方程式を無視したら? 設計を方程式に合わせるのではなく、方程式のほうを設計に合わせて変えるのだ。

 機体はエレガントな姿になり、理論上は空も飛ぶ。エンジニアは報酬を手にし、ジャンボ機は製造工程に入る。満員の乗客を乗せた無数の同型機が滑走路に向かう。

 ジャンボ機はしばらく空を飛ぶが、やがて次々と墜落する。当たり前の話だ。方程式をいじったのだから。

 金融に起きたことを例えて言うなら、こんな感じだ。ジェット機に当たるのは、債務担保証券(CDO)などの複雑なデリバティブ(金融派生商品)。いま不良資産として、金融機関に重くのしかかっているものだ。

 エンジニアに当たるのは「クオンツ」。10年ほど前からウォール街に増えてきた理数系の博士号取得者で、数式モデルを使って新しい金融商品を次々に生み出した金融工学の専門家だ。著名な投資家のウォーレン・バフェットは先頃、株主に宛てた書簡の中で「数式おたくに気を付けろ」と書いたが、これはクオンツを指している。

 今の金融危機がクオンツだけの責任だとは言い切れない。規制当局も企業トップも、クオンツが作った商品を買った投資家も、同じように罪は深い。

 だが、航空エンジニアが欠陥を知りながらジャンボ機を設計すれば、裁判沙汰になりかねない。なのに、クオンツは今もウォール街で、のうのうと生きている。それどころか、金融機関にとってはさらに重要な存在になっている。金融機関の抱える不良資産を査定するのも、クオンツの役目だからだ。

「スワップションの裁定取引」を論じる

 クオンツが今後もはびこるなら、彼らを「更生」させて金融界を改革するしかない。そう考えたのが、ポール・ウィルモット(49)。いま最も影響力のあるクオンツといわれ、おたくな数学界のスター的存在だ。

 ウィルモットが複雑な金融工学の世界を分かりやすく解説したテキストは、何百ドルもする。隔月刊の雑誌「ウィルモット」の年間購読料は695ドル。ウェブサイト「ウィルモット・ドットコム」には約6万5000人の登録ユーザーがいて、チャットでは「全測地的多様体」とか「スワップションのボラティリティー裁定取引」といった言葉が飛び交う。

 とりわけ昨年秋の金融危機以降、ウィルモットの信奉者は増え続けている。世界はすべて数字に還元でき、値付けでき、予測できるという考え方が破綻したせいだ。

 金融の根幹には、人間の行動は数学で予測できるという考え方がある。ウィルモットはこれに特に批判的だ。「たわごととしか言いようがない」と、彼は言う。

 そこでウィルモットが始めたのが「金融工学講座(CQF)」。クオンツを更生させ、彼らと世界を救うためのコースだ。

 6カ月間の受講料は1万8000ドル。クオンツには博士課程で学んだ抽象的な理論と決別させ、ウォール街で使われている実践的なスキルを学ばせる。

「金融機関に必要なのは、数学理論が現実にどう応用できるかを説明できるクオンツだ」と、ウィルモットは言う。「専門用語を流暢に操れても、応用できなければどうしようもない。できないなら、大学で研究していればいい」

 クオンツの元祖ともいわれるエドワード・ソープが、カリフォルニア大学アーバイン校の数学教授を辞めて、ヘッジファンドを設立したのは69年。以来、理数系出身者が次々と金融界に入ってきた。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

イスラエル、イラン核施設への限定的攻撃をなお検討=

ワールド

米最高裁、ベネズエラ移民の強制送還に一時停止を命令

ビジネス

アングル:保護政策で生産力と競争力低下、ブラジル自

ワールド

焦点:アサド氏逃亡劇の内幕、現金や機密情報を秘密裏
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:トランプショック
特集:トランプショック
2025年4月22日号(4/15発売)

大規模関税発表の直後に90日間の猶予を宣言。世界経済を揺さぶるトランプの真意は?

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    しゃがんだ瞬間...「えっ全部見えてる?」ジムで遭遇した「透けレギンス」投稿にネット騒然
  • 2
    「生はちみつ」と「純粋はちみつ」は何が違うのか?...「偽スーパーフード」に専門家が警鐘
  • 3
    【クイズ】売上高が世界1位の「半導体ベンダー」はどこ? ついに首位交代!
  • 4
    【クイズ】世界で最も「半導体の工場」が多い国どこ…
  • 5
    【渡航注意】今のアメリカでうっかり捕まれば、裁判…
  • 6
    「100歳まで食・酒を楽しもう」肝機能が復活! 脂肪…
  • 7
    「2つの顔」を持つ白色矮星を新たに発見!磁場が作る…
  • 8
    300マイル走破で足がこうなる...ウルトラランナーの…
  • 9
    『職場の「困った人」をうまく動かす心理術』は必ず…
  • 10
    トランプが「核保有国」北朝鮮に超音速爆撃機B1Bを展…
  • 1
    間食はなぜ「ナッツ一択」なのか?...がん・心疾患・抜け毛の予防にも役立つ可能性【最新研究】
  • 2
    【クイズ】世界で最も「半導体の工場」が多い国どこ? 1位は意外にも...!?
  • 3
    【心が疲れたとき】メンタルが一瞬で “最強” になる「超短い一言」
  • 4
    しゃがんだ瞬間...「えっ全部見えてる?」ジムで遭遇…
  • 5
    あなたには「この印」ある? 特定の世代は「腕に同じ…
  • 6
    パニック発作の原因とは何か?...「あなたは病気では…
  • 7
    中国はアメリカとの貿易戦争に勝てない...理由はトラ…
  • 8
    北朝鮮兵の親たち、息子の「ロシア送り」を阻止する…
  • 9
    動揺を見せない習近平...貿易戦争の準備ができている…
  • 10
    【渡航注意】今のアメリカでうっかり捕まれば、裁判…
  • 1
    中国戦闘機が「ほぼ垂直に墜落」する衝撃の瞬間...大爆発する機体の「背後」に映っていたのは?
  • 2
    【話題の写真】高速列車で前席のカップルが「最悪の行為」に及ぶ...インド人男性の撮影した「衝撃写真」にネット震撼【画像】
  • 3
    「一夜にして死の川に」 ザンビアで、中国所有の鉱山ダムから有毒の水が流出...惨状伝える映像
  • 4
    「さようなら、テスラ...」オーナーが次々に「売り飛…
  • 5
    「今まで食べた中で1番おいしいステーキ...」ドジャ…
  • 6
    健康寿命を伸ばすカギは「人体最大の器官」にあった.…
  • 7
    【クイズ】世界で最も「レアアースの埋蔵量」が多い…
  • 8
    【心が疲れたとき】メンタルが一瞬で “最…
  • 9
    テスラの没落が止まらない...株価は暴落、業績も行き…
  • 10
    「低炭水化物ダイエット」で豆類はNG...体重が増えな…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中