最新記事

金融

ウォール街の更生を目指す数学オタク、ウィルモット

2009年7月15日(水)18時45分
マシュー・フィリップス

 転換点が訪れたのは70年代半ば。ロバート・マートン、マイロン・ショールズ、フィッシャー・ブラックの3人が、オプション取引の価格算定式であるブラック・ショールズ方程式を完成させた(97年には、他界したブラックを除く2人がノーベル経済学賞を受賞)。金融界では、数学者が引っ張りだこになった。

 90年代半ば以降、アメリカの一流大学には金融工学の修士課程が次々に新設された。これらのコースは物理学の博士課程とともに、何千人ものクオンツをウォール街に送り出した。

 そんな古いタイプのクオンツに、ウィルモットはCQFで戦いを挑んでいる。「新しい軍隊をつくるんだ」と、ウィルモットは言う。

 03年のスタート以来、CQFの修了生は1273人。これが「ウィルモット軍」の現在の兵力だ。数はまだまだ足りないが、ウィルモットはめげない。

「『ズール戦争』という映画を見た?」と、彼は言う。史実に基づく63年の作品で、1879年の南アフリカで140人の英軍守備隊が4000人のズールー軍を迎え撃つ。勝利したのは英軍。訓練でも装備でも敵をしのいでいたためだ。CQFの修了生もそうあってほしいと、ウィルモットは思う。

完璧よりミスが見える数式がいい

 CQFの授業はロンドンの金融街で夜間に行われる。講師はウィルモットほか数人しかいない。

 今春のある夜、ウィルモットは金利と債券についての講義の最終回を行っていた。受講生は約30人。ほとんどがシティグループやドイツ銀行、クレディ・スイスといった勤務先から駆け付けた。さらに100人ほどが、インターネット経由で授業を受けている。

 この夜の正式なテーマは「フォワードレート曲線の無作為な変動を主要構成要素に分解する方法」。金利のランダムな変動をどう予測して債券の価格を決めるかという話らしい。

「まったく難しくない」と、ウィルモットは真顔で言う。「落ち着いて考えれば、誰でも分かるよ」

 ウィルモットがホワイトボードに数式を書く。80年代後半に考案されたヒース・ジャロー・モートン(HJM)モデルだ。素人目には、訳が分からない。だが数学者から見れば、エレガントでシンプルで、おまけに危険な数式だ。シンプルな見た目の裏側に、思わぬ変数が隠れている。

「みんな、モデルのどこがまずいかを知りたがるよね」と、ウィルモットは言う。「ごみを見つけたがる。でもHJMモデルは大きな敷物みたいなもので、ごみを全部隠してしまうんだ」

 それから30分間を、ウィルモットはHJMモデルの解析に充てた。彼のメッセージは「数式を過信するな」だ。「結局、ミスが見えている数式が一番いいんだ」と、ウィルモットは受講者に言う。

 2時間後、ウィルモットは近くのパブで受講者たちにビールをおごっている。シティバンクの若手社員が何人かいる。みんな20代半ばで、物理や工学の博士号を取得したばかりだ。CQFの受講料は会社が負担している。

「金融工学の世界にいま起きているのは、軍拡競争みたいなもの」と、ある受講者は言う。「このコースは新しい兵器を授けてくれるんです」

 4月のある朝、ウィルモットはオフィスにいる。数式がぎっしり書き込まれた大きな黒板のほかは、何の特徴もない部屋だ。

 彼はここで、オプション評価公式の最終仕上げに取り組んでいる。元教え子との共同作業で、間もなく発表にこぎ着けられるはずだ。

 彼は地下鉄に乗る。行き先は、グロブナー・スクエアに近いおしゃれなエリア。ここで3人の元投資家と会う。彼らはコンサルティング会社を起こすに当たり、ウィルモットの協力を仰いでいる。

 有名シェフのゴードン・ラムゼイの店「メイズ・グリル」で、3人はウィルモットを口説く。ウィルモットは「考えておきます」とだけ言って、店を後にする。

 オックスフォード・ストリートの人混みをかき分け、次々に携帯にかかってくる電話に応えながら、ウィルモットは自分の人生の矛盾を語る。車は大好きだが、ドライブは大嫌い。スキー旅行には行くが、スキーはしない。

 もうすぐ50歳になるが、30代といっても通用する。細身のジーンズに黒のスニーカー、グッチの眼鏡、ファスナー付きのカーディガンが、彼のいつものスタイルだ。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

トランプ氏とゼレンスキー氏が「非常に生産的な」協議

ワールド

ローマ教皇の葬儀、20万人が最後の別れ トランプ氏

ビジネス

豊田織機が非上場化を検討、トヨタやグループ企業が出

ビジネス

日産、武漢工場の生産25年度中にも終了 中国事業の
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:独占取材 カンボジア国際詐欺
特集:独占取材 カンボジア国際詐欺
2025年4月29日号(4/22発売)

タイ・ミャンマーでの大摘発を経て焦点はカンボジアへ。政府と癒着した犯罪の巣窟に日本人の影

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」ではない
  • 2
    中国で「ネズミ人間」が増殖中...その驚きの正体とは? いずれ中国共産党を脅かす可能性も
  • 3
    トランプ政権の悪評が直撃、各国がアメリカへの渡航勧告を強化
  • 4
    健康寿命は延ばせる...認知症「14のリスク要因」とは…
  • 5
    アメリカ鉄鋼産業の復活へ...鍵はトランプ関税ではな…
  • 6
    使うほど脱炭素に貢献?...日建ハウジングシステムが…
  • 7
    ロシア武器庫が爆発、巨大な火の玉が吹き上がる...ロ…
  • 8
    私の「舌」を見た医師は、すぐ「癌」を疑った...「口…
  • 9
    関税ショックのベトナムすらアメリカ寄りに...南シナ…
  • 10
    パニック発作の原因の多くは「ガス」だった...「ビタ…
  • 1
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」ではない
  • 2
    「生はちみつ」と「純粋はちみつ」は何が違うのか?...「偽スーパーフード」に専門家が警鐘
  • 3
    「スケールが違う」天の川にそっくりな銀河、宇宙初期に発見される
  • 4
    【クイズ】「地球の肺」と呼ばれる場所はどこ?
  • 5
    女性職員を毎日「ランチに誘う」...90歳の男性ボラン…
  • 6
    教皇死去を喜ぶトランプ派議員「神の手が悪を打ち負…
  • 7
    『職場の「困った人」をうまく動かす心理術』は必ず…
  • 8
    自宅の天井から「謎の物体」が...「これは何?」と投…
  • 9
    「100歳まで食・酒を楽しもう」肝機能が復活! 脂肪…
  • 10
    トランプ政権はナチスと類似?――「独裁者はまず大学…
  • 1
    【話題の写真】高速列車で前席のカップルが「最悪の行為」に及ぶ...インド人男性の撮影した「衝撃写真」にネット震撼【画像】
  • 2
    健康寿命を伸ばすカギは「人体最大の器官」にあった...糖尿病を予防し、がんと闘う効果にも期待が
  • 3
    【クイズ】世界で最も「レアアースの埋蔵量」が多い国はどこ?
  • 4
    【心が疲れたとき】メンタルが一瞬で “最…
  • 5
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」では…
  • 6
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる…
  • 7
    間食はなぜ「ナッツ一択」なのか?...がん・心疾患・抜…
  • 8
    自らの醜悪さを晒すだけ...ジブリ風AIイラストに「大…
  • 9
    北朝鮮兵の親たち、息子の「ロシア送り」を阻止する…
  • 10
    【クイズ】世界で最も「半導体の工場」が多い国どこ…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中