ウォール街の更生を目指す数学オタク、ウィルモット
クオンツの数式偏重が生んだCDO
リバプール郊外の小さな町バーケンヘッドで生まれたウィルモットは、オックスフォード大学で応用数学を学んだ。85年に流体力学の博士号を取得し、応用数学者としてのキャリアを歩み始めた。ロールスロイスでジェットエンジンのタービンを開発し、建物の爆破処理をする会社で爆薬の設置位置を計算した。
金融に数学を応用し始めたのが80年代後半。93年に書いたデリバティブのテキストによって、その名が一気に広まった。講演会に銀行家が詰め掛けるようになった。02~05年には1億7000万ドル規模のヘッジファンドを運営し、年率利回りは平均15%を記録した。
オックスフォード・ストリートをウィルモットは歩き続ける。もう地下鉄の駅をいくつも通り過ぎた。歩きながらウィルモットは、いま最もいら立ちを感じるテーマについて話し続ける。
それがストラクチャード・クレジットだ。現在の金融危機の元凶ともいわれる商品で、数式偏重主義のクオンツが最大の被害をもたらした分野である。ウィルモットに言わせれば「倫理観も責任感もへったくれもない」商品ということになる。
ストラクチャード・クレジットの最も一般的なものがCDOだ。銀行はいくつかの債務を抱き合わせ、それを小分けの債券にしてCDOを作り、投資家に売る。牛を解体して部位ごとに切り分け、ステーキ用からひき肉用まで、それぞれの品質に応じた価格を付けるのと同じだ。
CDOは87年にドレクセル・バーナム・ランベールが初めて発行した。90年に同社が破綻した後、クオンツが現れるまで、CDOはしばらく市場から姿を消していた。
2000年になるとCDO市場は、デービッド・X・リーの力によって再び活気を取り戻した。リーは、証券のデフォルト率の相関関係を予測する「ガウス型コピュラ関数」を考案した人物。このモデルを使えば、あるCDOが不良債権化した場合に、他のCDOも不良債権化する確率が分かる。
危機再来の確率を減らすために
この公式の登場で、CDOの価格決定や売買が大幅にスピードアップした。CDOの取引高は04年の1570億ドルから、06年には5200億ドルへと急増した。
CDO取引に手を出す銀行が増えるにつれて、利ざやは縮小し始めた。利回りを維持するため、銀行はさらに多くの債務をCDOに詰め込まなくてはならなくなった。いつかは爆発する爆弾を、どんどん大きくしていったようなものだ。
リーのノーベル賞受賞がささやかれるようになった頃、世界経済はついに爆発した。ウィルモットはあきれ返る。「何の検証もせずに、誤った仮定を信じて、数兆ドルもの金をつぎ込んだんだ。うまくいくはずがないじゃないか」
ガウス型コピュラ関数は、クオンツたちの抽象的な金融工学がいかに危険かを実証したと、ウィルモットは思う。「モデルをありがたがるのではなく、しっかり検証しないと」と、彼は言う。「面倒な作業だ。でも金融の世界をつかさどる大原則なんてあるはずはないし、相関関係が突然降って湧いてくることもないんだから」
数式モデルが役立たないことに人々が気付く日が来ると、ウィルモットも思いたい。だが、彼はそこまで楽観主義者ではない。「みんな忘れちゃうだろうね。結局、何一つ変わらないと思う」
負け戦を戦っていることは、ウィルモットも分かっている。数千人のクオンツを「更生」させたくらいで、金融界は変わるものではないだろう。
それでも、クオンツの再教育は続けなくてはならないと、ウィルモットは思っている。これから金融崩壊が訪れる確率を少しでも減らしたいという一心からだ。
グロブナー・スクエアから5キロは歩いた。セントポール大聖堂の近くで通りを渡ろうとしたとき、ウィルモットはCQFの授業に遅れることに気付いた。「まずい、あと10分で始まるよ!」
軍拡競争の中で新兵器を授けてほしい受講者たちは、1秒の遅刻も許してくれないだろう。
[2009年6月24日号掲載]