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破滅の予言者はリスクに賭ける

金融危機を見事予測した慧眼の学者ロバート・シラーが、規制強化論に対抗して掲げる「デリバティブ推進」の真意とは

2009年4月22日(水)19時35分
ザカリー・カラベル(米情報サービス企業リバー・トワイス・リサーチ社長)

ロバート・シラーは、信用危機を予見したとして称賛されるごく少数のエコノミストの一人。だが、その原因まで正しく言い当ててみせたのはシラーただ一人だ。

 ニューヨーク大学のヌリール・ルビーニ教授は06年の段階で、近く訪れる住宅市場の崩壊がアメリカの消費ブームを終わらせ、深刻な不況を招くと警告。同じく超弱気筋として知られるモルガン・スタンレーのエコノミスト、スティーブン・ローチは、ドルの下落とアメリカの対中国貿易赤字は世界経済の危機的な不均衡のサインであり、破綻は避けられないと長年警告を発してきた。

 どちらも見過ごされていた問題を浮き彫りにした点は評価に値するが、現状を招いた本当の理由である住宅ローン関連の莫大な投機は大して取り上げなかった。

 シラーは違う。サブプライムローン(信用度の低い個人向け住宅融資)危機が表面化するずっと前から、住宅価格が将来あらゆる予測を超えるペースで下落し、世界の金融市場が大打撃を受けると予想。危機管理専門家として、アメリカとヨーロッパの一部の不動産バブルは、何より「危機管理のミス」であると認識していた。

 エール大学で教えるシラーは01年の株価急落を正確に予想して有名になった。そして今、また孤独な論陣を張っている。テーマは、信用市場の安定化に向けてこれから何をするべきかだ。

 バラク・オバマ米大統領は劣悪な住宅ローンを高額のデリバティブ(金融派生商品)に変えた巨大市場を速やかに封じ込めるべきだと、おおかたの専門家は説くだろう。これらのデリバティブはウォール街の発明品であり、信用危機の元凶とみなされている。

 シラーの意見は逆だ。リスクという中心的な課題に取り組まないかぎり、政府が注入した巨額の救済資金でもさらなる金融危機を防ぐことはできない。デリバティブは「危機管理の道具で保険と似たようなもの」と、シラーはみる。「掛け金を払って、特定の事由が発生したときに支払いを受ける」

規制だけが正道にあらず

 そんなシラーが提唱する大胆な処方箋は次のとおりだ。金融のイノベーションに首輪をはめるようなまねをしてもうまくいかない。代わりにデリバティブが現金のようにごく普通に扱われる素晴らしい新世界へ前進するべきだ──。

 シラーは多数派のエコノミストと違って「効率的市場仮説」を信じていない。この説では、市場は証券の基本的価値に基づいて価格を決定し、価格には関連する情報がもれなく反映される。だが、シラーはむしろ20世紀経済学の巨人ジョン・ケネス・ガルブレイスらの流れをくんでいる。ガルブレイスに言わせれば、相場は完全な情報ではなく、「動物的なエネルギー」と大衆の情熱の表れだ。

 だからこそバブルが発生し、シラーの言うように金融のイノベーションと政府の規制が絶対に必要になる。ワシントンではサブプライム関連の複雑なデリバティブを厳しく規制するよう圧力が高まっている。世界的な資本移動やIT時代の膨大な取引数を考えればなおさらだ。米下院金融委員会のバーニー・フランク委員長は金融機関にリスク回避を強化させる意向だし、ヨーロッパやアジアでも同様の措置が検討されている。

 もっともな対応だ。金融危機の後には必ずその原因に対抗する動きが起こる。20年代の市場の過熱を受けて1934年に米証券取引委員会(SEC)が設立され、02年にはエンロンやワールドコムの巨額不正・粉飾事件を受けSOX法(企業会計改革法)が成立した。

 シラーは規制強化にはおおむね賛成だが、デリバティブとリスクの規制は誤りだと確信している。「危機管理とは危険な行動を未然に防ぐことではなく、それを論理的な終着点に導き、目的を実現することだ」と、私に語った。

 同時に、動物的なエネルギーとイノベーションの方向づけには政府の介入が欠かせない。そしていまイノベーションを必要としているのが不動産部門であり、個人の住宅所有者なのだという。

 数兆ドル規模のデリバティブ取引を動かしていたのはごく少数のトレーダーだった。サブプライムローンは別の金融商品に組み替えられ、一部の大手証券会社によって中国銀行やHSBC、政府系ファンドなどひと握りの大型機関投資家に売却された。これらの金融商品は売り手も買い手も中身を知らないまさにブラックボックス。巨大ではあるが、非流動的で不透明な市場をつくり上げていた。

 一方、そのシステムを支えていたのが世界中の個人住宅所有者と融資機関だ。だが、彼らには大手金融機関のようなヘッジ手段はなかった。価格上昇を見込んで不動産を購入したものの、相場が下降した場合の防衛策はゼロ。市場が冷え込むと、購入価格以下ですら売れない家とともに取り残された。

眠れる富を掘り起こせ

 シラーの提案は、住宅所有者(ひいては融資機関)が価格下落にそなえてデリバティブを保険代わりに使えるようにすることだ。住宅市場はアメリカだけで20兆ドル規模だが、相場の下落時に利益を引き出す方法はないに等しい。

 だが、株式ならデリバティブやオプション取引を使って相場が下落したときにもカネを稼げる。これで潜在的な売り手と買い手の数は大幅に増えるし、売り手と買い手が増えれば市場は厳しい状況下でも流動性と機能性を維持できる。

 シラーは20年近く、こうした住宅所有者向けの保険の創設を模索してきた。ただし、論文の大半は学術的で一般人にはいささか難解だ。これまでバブル崩壊や経済危機を的確に言い当ててきたものの、シラーの今回の提言はあまり注目されていない。

 だが、シラーは口先だけの学者ではない。アメリカを代表する住宅販売指標「S&Pケース・シラー住宅価格指数」を共同開発。この指標はシカゴ・マーカンタイル取引所の先物取引でも扱われている。しかし、取引に参加するのは仕手筋や投機家ばかり。郊外に自宅を購入する人がリスク回避のツールとして使うには程遠い。

 学者には現実を見極める目が欠けているとシラーは痛感しているが、彼自身も似た理由で批判を受けている。デリバティブの推進で住宅市場の流動性と安定性を向上させるという説を私の知人のトレーダーたちは切り捨てた。

 彼らによれば、先物取引で株式市場や商品市場は相場の乱高下に強くなったどころか、逆に急激な値動きに拍車がかかった可能性もある。住宅部門のデリバティブ市場が急成長しても、個人に対する保険としては機能せずに投機筋の新しい賭場になるのがオチだ。

 対するシラーは、資産価値の下落に対抗策を設けることで「デリバティブはバブルの発生を抑制できるかもしれない」とする。

 実証されていない以上、どの説が正しいのか知りようがない。だが、シラーの考えは著名なペルー人経済学者エルナンド・デソトの考えと似ている。土地をカネに換えることを司法・銀行制度が認めた時点で欧米諸国は他の国々をリードしはじめたと、デソトは考えた。不動産を担保にローンを組むというシステムはまさにその結果であり、欧米の大きな強みになってきたといえる。

 不動産部門にはまだ莫大な富が眠っていると、シラーは訴える。所有者が資産を気兼ねなく売却できるのは好況時だけであり、不動産はリスクが高く非流動的で、こうした短所を補完する手段もないからだ。デリバティブの幅を広げて「空売り」できるようにすれば、不動産は現在の株や債券、一部の商品のように取引しやすくなる可能性がある。多くの眠っている富が掘り起こされ、制度的なリスクも軽減されるとシラーはみる。

 要するに、シラーは次なる金融革命に向けて意識面の土台作りをしているのだ。私たちは今、情報時代初の大規模な経済危機のただ中にいる。シラーの提言はすぐにはピンとこないかもしれない。

 だが、感染症に有効なのは避難でも隔離でもなく、ワクチンを通じて意図的により多くの人々に広めることだとした数世紀前の専門家も似たような反応を受けたはずだ。「デリバティブと証券化は大きくつまずいた」と、シラーは言う。「1世紀近く前にタイタニック号が沈没したが、私たちは大西洋を船で渡るのをやめなかった」

暴走を防ぐ手だてが重要

 もちろん、船旅には慎重になったはずだ。しかし、ここで私たちが恐怖に屈したら今の社会を生み出したダイナミズムそのものを失ってしまう。それがデリバティブとイノベーションを推進せよというシラーの主張の核心だ。

 資本主義社会では危機を迎えるたび、古きよき幻想の時代への回帰を求める声が上がる。だが、動物的なエネルギーは長く抑えてはおけない。重要なのは、それが復活したときに暴走を防ぐ手だてを見つけることだ。

 デリバティブが大混乱を巻き起こした今、それを推進しろと説得するのはむずかしい。だが、シラーは指摘する。責めるべきは現状を招いた手段ではない。手段とは上手にも下手にも使えるからだ。しょせん人類の創造力という圧倒的な潮流に逆らおうとしても、無駄骨に終わるだけだだろう。 

[2009年2月11日号掲載]

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