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【哲学】人類をリセットするクラウド革命
単体の存在から相互につながる情報の共有体へ。技術の進化による「第4の革命」が人間の定義を覆す
科学が私たちの理解を変える方法は、ごく大ざっぱに分けて2つある。1つは外向き、つまり外の世界についての認識を変えるもの。もう1つは内向き、つまり私たち人間についての理解を変える方法だ。過去の3つの科学革命は、その両方に大きな影響を与え、外的世界に対する私たちの理解を変えることで「人間とは何か」をめぐる私たちの内的認識も変えた。
コペルニクス以後、それまでの地球中心の宇宙観に太陽中心の宇宙観が取って代わり、人間を宇宙の中心から追い出した。ダーウィンは、すべての生物種が自然淘汰によって共通の祖先から進化してきたことを示し、人類を動物界の中心から追い出した。そしてフロイト以降、私たちは精神も無意識の産物であり、抑圧という防衛機制に影響されることを理解するようになった。
つまり、私たちは宇宙の中心に位置する不動の存在ではなく(コペルニクス革命)、他の動物たちと切り離された別個の存在でもなく(ダーウィン革命)、自分自身を完全に理解できる純粋な合理的精神などでは決してない(フロイト革命)。
以上の3つの革命を、人間の本質を見直すプロセスの一環と最初に位置付けたのはフロイトだった。この概念的枠組みは、「最近になって人間の自己認識に極めて重要な根本的変化が起きた」という私たちの直観を説明する役にも立つ。
50年代以降、コンピューター科学とICT(情報通信技術)は外向きにも内向きにも影響を与え、私たち人間と外的世界との相互作用だけでなく、「人間とは何か」をめぐる私たちの自己認識も一変させた。
人間は単体から「インフォーグ」に
多くの点で、私たちは自分自身をスタンドアローン(単体)の存在ではなく、相互に結び付いた情報的有機体──「インフォーグ」と見なすようになった。そしてインフォーグは、生物や人工物(および両者のハイブリッド)の行為主体と地球規模の環境──「インフォスフィア(情報圏)」を共有している。このインフォスフィアは究極的には情報の集合体であり、情報関連のあらゆるプロセス・サービス・実体で構成される。つまり、この環境には情報の実体そのものだけでなく、その特性や相互作用、相互の関係性も含まれる。
従って現在のデジタル革命は、人間の本質と宇宙における役割を見直す長期的プロセスの延長線上にある「第4の革命」と見なすのが最も適切な理解法だ。今日、デジタル革命は人間と現実の究極的本質に対する私たちの理解、すなわち形而上学的認識の中心を物質から情報に変えている。
今やオブジェクト(モノ、目的)とプロセス(処理、過程)は、人間の手によるサポートが不要なものとして扱われるケースが増え、「脱物質化」したと見なされる(デジタル音楽ファイルがいい例だ)。さらに「類型化」も進んでいる。あるオブジェクトの1つ(例えば手元にある音楽ファイルのコピー)は、その「形式」(オリジナルとコピーを含む同じ曲のすべての音楽ファイル)と同じ品質を持っているからだ。
そしてコピーとオリジナルが互換性を持つことから、オブジェクトとプロセスは本質的に100%クローン化できると想定されている。両者の物質的本質が従来ほど重視されなくなった結果、使用権が所有権と少なくとも同等の重要性を持つと考えられるようになった。
最後に、存在の基準(何かが存在するとはどういうことか)は、もはや物理的に不変かどうかではなくなった(古代ギリシャ人は、完全な存在といえるのは不変なものだけだと考えた)。認識可能かどうかでもない(近代哲学は、五感で認識できることが存在の条件だと主張した)。相互作用の可能性があるかどうかだ。つまり存在とは、相互作用が可能な状態のことであり、それがバーチャルのみの相互作用でも構わない。
日常の「オンライフ」化が進む
以上はすべて、第4の革命が引き起こした形而上学的認識の重要な変化の例だ。私たちは過去10年ほどの間に、オンライン上の生活(オンライフ)とは人間のデジタル環境への進化的適応と、この未知の新世界の人間による開拓が入り交じったものだという認識を身に付けた。
しかし、デジタル革命は新たな現実を創造する一方、それと同程度に「私たちの世界」をつくり替えてもいる。こちら側(アナログ、有機物、オフライン)と、向こう側(デジタル、シリコン、オンライン)との境界は急速にぼやけているが、この変化は前者に恩恵をもたらすのと同様に、後者に有利な条件もつくり出している。
今やデジタルはアナログの世界にあふれ出し、アナログをのみ込みつつある。デジタル化以前の生活がどうだったかを理解するのは、もうすぐ困難になる可能性が高い。そして近い将来、オンラインとオフラインの区別そのものが消えてなくなるだろう。
現在でも古い世代は、サイバースペースを「ログイン」して「ログオフ」する世界と考えている。私たちの世界観はいまだに近代、つまりニュートン的世界観のままだ。この世界は「死んだ」自動車やビルや家具や服や冷蔵庫で構成されており、それらは非双方向的で無反応で、コミュニケーションも学習も記録もできない。
だが先端情報社会になると、現在のオフラインの世界は完全に双方向化される。そこではあらゆる場所にワイヤレスで届き、「何でも何かにつながる(a2a=anything to anything)」分散型の情報プロセスが、リアルタイムで「いつでもどこでも(a4a=anywhere for anytime)」動作する。人間の意思とは無関係にデータが飛び交うようになるかもしれない。
その結果、インフォスフィアは時間の同期化、空間の普遍化(ユビキタス化)、相互作用の強化が進み、人間の生活はますます「オンライフ」化することになる。
「知らなかった」は通用しない時代に
クラウド・コンピューティングは、この第4の革命の最も新しい現象だ。私たちは現在、コンピューターと最も相性がいい相棒はコンピューター自身だという事実を徐々に認識しつつある。コンピューターは人間を必要としない。それどころか人間は本来、コンピューターの輪の中にいるべきではない。クラウド・コンピューティングは、この輪の中から潔く出ていこうとする人間の初めての試みだ。
理論上、クラウド・コンピューティングは知的発明や発見、情報の設計と、それを実現するための定型処理やモノを切り離す。この「無人コンピューティング」はユーザーから独立して動作するので、より効率的でコストの少ないデジタル資源の監視と管理が可能になる。
人間がインフォスフィア内部の相互作用に関与する時間が増えるほど、モノを物理的に所有する必要性と理由は小さくなる。この「電子移住」が知的レベルでもたらす影響は極めて大きい。
先端情報社会では、容易に予測できる出来事や無視しようのない事実を知らなかったと主張するのは次第に困難になる。常識とは「誰もがそれを知っている」だけでなく、「誰もがそれを知っているという事実を誰もが知っている」状態のことだ。それが先端情報社会では加速度的に増えるため、「情報を無視する権利」は弱まる。
一方、情報の価値は急落する。ウィキペディアやグーグルブックスの登場によって、既に情報の価値は巨大なデフレの波に襲われているが、クラウド・コンピューティングはそれに拍車を掛ける。共有される情報には、誰も金を出そうとしないからだ。
情報の価値は「果汁」次第で決まる
さらにクラウド・コンピューティングによって情報の入手可能性をめぐる問題は解消され、同時に「ジューサー・モデル」の重要性が高まる。単なる「事実」に関する情報は、情報を管理して相互作用を生み出すのに必要な実用的ノウハウと、情報の理解と知的活用のために欠かせない理論的知識に役立つ「果汁」を搾り出せる場合のみ、価値があると見なす傾向が強まる。
ただし、コンピューターは意味の処理が得意ではない。従って情報の入手可能性が無限に広がる状況が生まれることで、今度は情報の利用可能性(アクセシビリティー)や有益性といった従来からある意味論的な問題が浮き彫りになり、深刻化する。
知識を得るためには、情報の記号化に用いられる専門用語に精通している必要がある。こうした専門用語は今後ますます複雑になり、需要も高まるだろう。幸いクラウド・コンピューティングは、1つの問題を処理するために複数の情報システムを投入する新しい「知的並行処理」の発達を促す。
情報のセキュリティーについては、私たちは自分のデータを物理的に所持しなくなることで、それを守れるようになる。データは貴重なものだが、物理的なモノとは違い、わずかなコストで完全なクローンを作れる。さらにクラウド・コンピューティングでは、物理的な保有と所有権が切り離されるため、プロバイダー(保有者)とユーザー(所有者)はお互いを信頼し、データの安全を守ることで合意できる。
デジタル資源を1カ所に集中すればリスクが生じるが、同時に「クラウドからクラウドへ(c2c=cloud to cloud)」の相互作用の機会も増える。同じ環境に共存するデータやアプリケーション、サービスが増えれば増えるほど、優れたソリューションやフィードバックの活用が容易になる。
クラウド間コンピューティングの課題
今後は「イントラクラウド・コンピューティング」が盛んになり、それによって人間とコンピューターをつなぐインターフェースの改善が課題になるだろう。インフォスフィアにおける人間の存在やテレプレゼンス(遠隔存在)は、どの程度の入手可能性、アクセシビリティー、相互作用を確保できるかで決まる。従ってICT分野の次の重要な技術革新のいくつかは、ユーザーとコンピューターが出合うクラウドの周縁部分で起きるだろう。
最後に忘れてはならないのは、クラウド・コンピューティングは巨視的なデジタル革命の一環であり、デジタル革命はこれまでにない倫理問題を投げ掛けているということだ。今後は合成物や人工物も含め、あらゆる種類の存在と行為を本物かつ真正なものとして扱う「電子環境」に基づくアプローチが必要になるだろう。
問題は人間が自然界内部のインフォーグという役割と、自然の管理者としての役割の間で折り合いをつけられるかどうかだ。幸いこの課題の解決は不可能ではない。
(筆者はローマ大学サピエンツァ校、オックスフォード大学などを経て07年より現職。早くからコンピューター倫理に注目しフィロソフィー・オブ・インフォメーションという領域を確立。ユネスコとの共同研究でも活躍中。この記事の英語版はここ