コラム

バイデン政権誕生を後押ししたアメリカ人ムスリムの政界進出

2020年12月03日(木)13時30分

18年中間選挙で初当選したムスリム女性下院議員の2人 Caroline Yang-REUTERS

<大統領選と同時に実施された5つの州の州議会選挙でムスリムの候補者が初当選した>

トランプ米大統領が敗北宣言を出さないまま、アメリカでは次期バイデン政権の組閣が着々と進められている。トランプ政権を利用してきたアラブ諸国やイスラエルからは、バイデン政権がオバマ政権の対中東政策を踏襲し、イランとの関係を改善するのではないか、当事者たるパレスチナを無視してきたトランプの中東和平政策を修正するのではないか、中東の独裁政権に対して人道政策を強要するのではないか、といった懸念が聞かれる。イランで核関連の科学者が何者かによって殺害された事件にみられるように、バイデン政権成立前に、駆け込みで危機を煽ったり、軍事的優位を確立したりする動きが加速しかねない。

だが、実際のところは、民主党政権に移行したからといって、さほどドラスティックにアメリカの対中東政策が変化するとは思えない。なによりバイデン自身が自らシオニストであると宣言しているし、国内のユダヤ人票を票田としてきた民主党は伝統的にはユダヤ・ロビーの影響力が強い。トランプ政権期に行ったイラン核開発協議からの離脱を見直す、とするバイデンだが、次期政権で国務長官に任命される予定のトニー・ブリンケン(オバマ政権時代の副国務長官)は、対イラン融和には慎重な路線をとっている。なによりもブリンケンもまた、強力なイスラエル支持派だ。

忘れられがちだが、イランに対する経済制裁を解除したのはオバマ政権時代だが、対イラン金融制裁の国連決議を成立させたのもオバマ政権である(2010年)。オバマ政権期を踏襲したところで、米イラン関係がドラスティックに改善されるわけではない。

その意味では、トランプ政権の中東政策に辟易していた中東、イスラーム世界の人々にとっては、バイデンに変わることで何か劇的な改善が期待できるわけではなさそうだ。

18年中間選挙で動いたムスリム票

とは言え、トランプが課してきた移動・移住の制限に苦しめられてきた米国内のムスリム(イスラーム教徒)住民、さらには中東、イスラーム世界の一部の国の人々にとっては、政権交代は胸をなでおろすことだろう。トランプ政権が成立してすぐに行ったことはといえば、シリア、イラク、ソマリア、アフガニスタン、イエメン、リビア、スーダンという「紛争地域」からの入国を禁止することだった。移動の自由を侵害するということで、司法の反対を受けたが、ムスリムに差別的な政策をとり続けたことには変わりがない。当時米国内に留学していた上記の国出身の学生は、一時的でも自国に戻ったらアメリカに帰れなくなると、帰省したり家族を呼び寄せたりできずに苦労していた。

世界中のムスリムのなかでも、特にアメリカ人ムスリムがトランプ政権に対して抱き続けてきたうんざり感は、すでに2年前の中間選挙で表出していた。2018年の中間選挙では、アメリカ人ムスリムの4分の3以上が民主党に投票したという調査結果が出ているが、そのような圧倒的な民主党支持の高まりのなかで、初めて2人のムスリム女性が民主党から立候補し、下院に当選したのである。

アメリカの政界に進出するアラブ系議員といえば、それまではほとんどがレバノン系キリスト教徒で、90年代半ば以降彼らの多くは共和党支持だった。連邦議会下院にイスラーム教徒が初めて当選したのは2000年代の後半だったが、この時期当選した2人の議員は途中でイスラームに改宗したアフリカ系アメリカ人だった。

だが、2018年の中間選挙で当選した2人、パレスチナ系のラシーダ・ターリブ(ミシガン州)とソマリア難民出身のイルハン・ウマル(ミネソタ州)は、いずれも移民・難民の経験を背景に持つ女性であった。アメリカ国外に出自由来を持つムスリムで、しかも女性という、マイノリティーの三重奏ともいえる立場の2人が連邦議会に議席を獲得したことは、画期的というほかない。

プロフィール

酒井啓子

千葉大学法政経学部教授。専門はイラク政治史、現代中東政治。1959年生まれ。東京大学教養学部教養学科卒。英ダーラム大学(中東イスラーム研究センター)修士。アジア経済研究所、東京外国語大学を経て、現職。著書に『イラクとアメリカ』『イラク戦争と占領』『<中東>の考え方』『中東政治学』『中東から世界が見える』など。最新刊は『移ろう中東、変わる日本 2012-2015』。
コラムアーカイブ(~2016年5月)はこちら

あわせて読みたい
ニュース速報

ビジネス

米「夏のブラックフライデー」、オンライン売上高が3

ワールド

オーストラリア、いかなる紛争にも事前に軍派遣の約束

ワールド

イラン外相、IAEAとの協力に前向き 査察には慎重

ワールド

金総書記がロシア外相と会談、ウクライナ紛争巡り全面
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:大森元貴「言葉の力」
特集:大森元貴「言葉の力」
2025年7月15日号(7/ 8発売)

時代を映すアーティスト・大森元貴の「言葉の力」の源泉にロングインタビューで迫る

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「ベンチプレス信者は損している」...プッシュアップを極めれば、筋トレは「ほぼ完成」する
  • 2
    「お腹が空いていたんだね...」 野良の子ネコの「首」に予想外のものが...救出劇が話題
  • 3
    千葉県の元市長、「年収3倍」等に惹かれ、国政に打って出たときの顛末
  • 4
    イギリスの鉄道、東京メトロが運営したらどうなる?
  • 5
    完璧な「節約ディズニーランド」...3歳の娘の夢を「…
  • 6
    どの学部の卒業生が「最も稼いでいる」のか? 学位別…
  • 7
    主人公の女性サムライをKōki,が熱演!ハリウッド映画…
  • 8
    【クイズ】未踏峰(誰も登ったことがない山)の中で…
  • 9
    シャーロット王女の「ロイヤル・ボス」ぶりが話題に..…
  • 10
    『イカゲーム』の次はコレ...「デスゲーム」好き必見…
  • 1
    「ベンチプレス信者は損している」...プッシュアップを極めれば、筋トレは「ほぼ完成」する
  • 2
    「弟ができた!」ゴールデンレトリバーの初対面に、ネットが感動の渦
  • 3
    日本企業の「夢の電池」技術を中国スパイが流出...APB「乗っ取り」騒動、日本に欠けていたものは?
  • 4
    シャーロット王女の「ロイヤル・ボス」ぶりが話題に..…
  • 5
    「お腹が空いていたんだね...」 野良の子ネコの「首…
  • 6
    千葉県の元市長、「年収3倍」等に惹かれ、国政に打っ…
  • 7
    完璧な「節約ディズニーランド」...3歳の娘の夢を「…
  • 8
    「飛行機内が臭い...」 原因はまさかの「座席の下」…
  • 9
    トランプ関税と財政の無茶ぶりに投資家もうんざり、…
  • 10
    アリ駆除用の「毒餌」に、アリが意外な方法で「反抗…
  • 1
    「コーヒーを吹き出すかと...」ディズニーランドの朝食が「高額すぎる」とSNSで大炎上、その「衝撃の値段」とは?
  • 2
    「あまりに愚か...」国立公園で注意を無視して「予測不能な大型動物」に近づく幼児連れ 「ショッキング」と映像が話題に
  • 3
    10歳少女がサメに襲われ、手をほぼ食いちぎられる事故...「緊迫の救護シーン」を警官が記録
  • 4
    JA・卸売業者が黒幕説は「完全な誤解」...進次郎の「…
  • 5
    ディズニー・クルーズラインで「子供が海に転落」...…
  • 6
    気温40℃、空港の「暑さ」も原因に?...元パイロット…
  • 7
    燃え盛るロシアの「黒海艦隊」...ウクライナの攻撃で…
  • 8
    「小麦はもう利益を生まない」アメリカで農家が次々…
  • 9
    イランを奇襲した米B2ステルス機の謎...搭乗した専門…
  • 10
    「うちの赤ちゃんは一人じゃない」母親がカメラ越し…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story