コラム

紛争と感染症の切っても切れない関係──古くて新しい中東の疫病問題

2020年03月26日(木)17時45分

2つ目の論文は、MERIPという民間の中東調査情報レポートの最新号(2020年3月9日発行)に掲載された「イラク菌と介入の病理学」である。イラク戦争後イラクに駐留した米兵の間で奇妙な病気が流行ったが、それはイラク戦争以前に経済制裁を受け、医療体制が崩壊したイラク国内で抗生剤がむやみに使用され続けた結果、耐性の強い菌が生まれてしまった。それが「イラク菌」である、という。

さまざまな抗生剤への耐性をつけた「イラク菌」が悩ませたのは、イラク駐留の米兵だけではない。この論文の著者が医師として勤務していたレバノンには、多くのイラク人が治療のためにやってきていた。戦争、制裁で医療体制が壊れたイラクでは、患者は海外に出てよりよい治療を受けるしかなくなったからである。そのため、レバノンでも同じようなことが起きる。つまり、耐性の強い「イラク菌」がレバノンに集まるのだ。イラクだけではない。レバノンにはシリアやパレスチナなど、周辺の紛争国や国家破綻状態に陥った国から、さまざまな患者が訪れる。いずれも、医療体制が十分に機能していないことによって変異し、強化された菌を抱えてやってくるのである。

現在、新型コロナウイルスをめぐるパニックは、未知の病気の出現に自然の脅威を痛感させられる、無力感によるものだろう。だが、MERIPの論文を読むと、「新型」と呼ばれる菌、ウイルスの登場、拡大が決してただの自然現象ではなく、人間が作り上げた医療体制のミスマネージメントから生まれたことがよくわかる。

紛争と感染症は、一見無関係のように見えるが、実のところ、紛争が感染症の発展を促す契機にもなっているのである。

プロフィール

酒井啓子

千葉大学法政経学部教授。専門はイラク政治史、現代中東政治。1959年生まれ。東京大学教養学部教養学科卒。英ダーラム大学(中東イスラーム研究センター)修士。アジア経済研究所、東京外国語大学を経て、現職。著書に『イラクとアメリカ』『イラク戦争と占領』『<中東>の考え方』『中東政治学』『中東から世界が見える』など。最新刊は『移ろう中東、変わる日本 2012-2015』。
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