そういう経緯を経て2000年代、ハニ・アブ・アサド監督の登場になるわけだが、彼の面白いところは、けっこうエンタメ路線を踏まえているところだ。英BBCやチャンネル4で番組制作に関わっていたことも、影響しているかもしれない。2005年に制作された『パラダイス・ナウ』は、ゴールデン・グローブ賞を取り、アカデミー賞外国語映画部門にもノミネートされたが、受賞反対運動が起きた。自爆作戦に赴くパレスチナ人青年の、イスラエル占領下での生活と葛藤を描いていたからである。

 次々に国際的な評価を高めていったアブ・アサド監督が行きついた作品が、今公開中の『歌声にのった少年』だ。本作品でテーマとなったガザ出身のパレスチナ人、ムハンマド・アッサーフのサクセスストーリーは、あらためて説明するまでもない。占領下のパレスチナで国外に出るのがいかに難しいかは、このコラムで何回か紹介した『自由と壁とヒップホップ』などのパレスチナ映画でも、繰り返し描かれてきた。アブ・アサドの新作は、その障害をいかに乗り越えて、オーディション歌番組で優勝したかを、愛と感動で描く。暗い暗いイメージのはずのパレスチナ映画が、夢と希望を与えてくれる、涙なくして見られない映画だ。

 さて、今回、アブ・アサドについて筆者が語りたいのは、この最新作のことではない。そのひとつ前、日本でも今年四月に公開された『オマールの壁』(2013年)である。サスペンス調の『パラダイス・ナウ』や愛と感動の『歌声にのった少年』に比べると、重い。背景となる社会状況がわかりにくいとか複雑だとかはあるのだが、出口のなさが前者二作に比べて半端ではない。『パラダイス・ナウ』がわかりやすかったわけではないけれども、「占領がひどい、パレスチナ人社会は苦しんでいる、イスラエルはケシカラン」的な短絡的な構造認識が一切、消えている。

【参考記事】映画『オマールの壁』が映すもの(1)パレスチナのラブストーリーは日本人の物語でもある

 この重苦しさは何なのだろう、とモヤモヤしたまま映画館を出たのだが、数日してから気が付いた。「イスラエルの占領×、抑圧されているパレスチナ人○」では片づけられない、まさにその最大の対象が、アブ・アサド監督自身だからである。イスラエル国籍を持つパレスチナ・アラブ人として、被占領下のパレスチナ人の立場を完全に共有することもできず、ましてやイスラエル側には加担できない。かといって、祖国を離れてヨーロッパで、客観的な目でパレスチナを眺めるディアスポラの立場にも、満足できない。

『オマールの壁』の主人公は、『パラダイス・ナウ』と同じく、イスラエル占領下のパレスチナ人の青年たちだが、主題はパレスチナ人の間の疑心暗鬼に置かれている。『パラダイス・ナウ』の底流にも流れていたように、パレスチナ人内部からイスラエルへの「密告」が、ここではより中心的なテーマとして描かれる。だが、密告者に成り下がる側にもそれなりの理由があって責められないよね......的な話でもない。むろん、パレスチナ人社会の「密告」性質を暴く、的な告発モノでもない。結果として、じゃあどうすりゃいいのよ、といった煩悶を見る者に残して、モヤモヤ感満載で映画館を後にすることになる。

ディアスポラの悲劇