コラム

博士課程の奨学金受給者の約4割が留学生、問題は日本社会の側にある

2025年04月02日(水)11時50分

そうなると、どうしても大学教員を目指したいのであれば、少なくとも英語圏などで博士号を取った方が確実性は高いことになります。ですから、コースとしての日本の大学の人文系の博士課程というのは、日本人学生としては敬遠しがちとなるわけです。

2つ目は、一般企業などの就職です。日本の企業は、技術系は別として大学や大学院で学んだことを重視しません。例えば、会計学を深く学んだ学生は、企業の自己流の会計規準に対して批判的になるので敬遠します。「地頭(じあたま)が良くて、素直な若者」を鍛えてその会社の流儀に従順な社員にすることを好むからです。労働法を学んだ学生などは組合の手先だとして忌避されてしまうこともあります。まして、博士課程を出たなどというのであれば、企業は「敬して遠ざける」ことしかしません。


学部卒ならいいのですが、例えば営業職や事務職などで採用する場合には、博士課程で学んだ若者は、学んだ内容が「活かせない」だけでなく、年齢を重ねていることなどから、採用したがりません。例えば、営業に行った際にも、博士号を持っているなどというのは、よほど巧妙な自虐トークなどで帳消しにしなければマイナスになります。人間同士は対等という思想が薄い日本社会では、特に民間の就職においては特に博士課程修了という経歴は就職の邪魔になるだけなのです。

3つ目として、仮に大学のポジションが難しくても、例えば勉強熱心な学生の集まる高校の教員などは、博士課程修了者の活躍の場になる可能性はあります。国としても博士課程で学んだ知見を、高校でより若い人たちを刺激するように活用してもらえば、国力にも資すると思うのです。ですが、基本的に高校の職員室は博士課程修了者に対して、門戸を開いていません。民間企業と同じで、他の先生達の自尊心を乱すだけの存在という見方は否定できないからです。

人文科学軽視の風潮

それ以前の問題として、せっかく博士課程を取って深い知識を持っていても、日本の高校生の関心事はどうしても入試になります。入試に役に立たない深い知識へ目を向ける生徒は、一部の推薦枠狙いか、余程の秀才だけということになってしまいます。

以上の理由に加えて、ここ数年の「人文科学軽視」の風潮を反映して、ただでさえ少ない若い人の間で、人文科学へ関心のある人は減っている可能性があります。例えば、高校の国語では文学が軽視されるようになっている中では、夏目漱石の主要な作品を読み通して、大学でも漱石を研究しようというような学生は、少子化に上乗せする勢いで減少していると考えられます。

一方で、例えば中国などアジアの学生の場合は日本文学、例えば漱石を深く学ぶことで、アジアにおける近代化の問題を考えるというのは、切実な問題です。またそうした関心を持つ層の裾野は広いと考えられます。これに、一神教文化に行き詰まりを感じた欧米から、日本文化に強い関心を寄せる学生が加わってきます。そうなると、例えば国文学研究室で、日本文学を深く研究してゆこうという学生は自動的に外国人が多数になっていくわけで、これはどうしようもないことだというわけです。

こうした動きの全体は、既に国策になっているのかもしれません。少なくなった日本の若者には実学を学んで稼いでもらう、一方で日本文化の積極的な研究や維持の活動は外国人や外国の研究機関に期待する、そうした全体の動きは止められないと思います。確かに不自然な動きですし、票を意識する政治家が税金のムダ使いだなどと言うのにも一理はあります。

かといって、日本人というだけでロクに文学作品を読んだことのない若者を、国文学の博士課程に入れてもカネの使い方としては、余計ムダになります。また、人文系の博士課程の奨学金を大幅にカットしてゆけば、日本語による日本文化に関する研究活動は世界中で衰退していって、最終的に知的な近代日本語は死語になってしまうかもしれません。

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プロフィール

冷泉彰彦

(れいぜい あきひこ)ニュージャージー州在住。作家・ジャーナリスト。プリンストン日本語学校高等部主任。1959年東京生まれ。東京大学文学部卒業。コロンビア大学大学院修士(日本語教授法)。福武書店(現ベネッセコーポレーション)勤務を経て93年に渡米。

最新刊『自動運転「戦場」ルポ ウーバー、グーグル、日本勢――クルマの近未来』(朝日新書)が7月13日に発売。近著に『アイビーリーグの入り方 アメリカ大学入試の知られざる実態と名門大学の合格基準』(CCCメディアハウス)など。メールマガジンJMM(村上龍編集長)で「FROM911、USAレポート」(www.jmm.co.jp/)を連載中。週刊メルマガ(有料)「冷泉彰彦のプリンストン通信」配信中。

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