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日本在住外国人を対象にした日本語教育への提言
2つ目は、どんな日本語を教えるのかという問題です。最近の日本ブームを受けて海外の「日本好き」の若者の間では、日本のドラマやバラエティで使われるテンポのいい「タメ語」、つまり「だ、である調」の言葉を一刻も早く習得したがる傾向があります。
もちろん、生きた日本語をどんどん耳から学んで行くのは、素晴らしいことですし、習得のペースも上がって行くことになると思います。ですが、その一方で、「だ、である調」には難しさもあります。まず、文法的には動詞の変化が「です、ます」よりも数倍複雑になります。
それから、「だ、である調」は「ね」とか「よ」、あるいは「わ」「よね」といった「助詞(てにをは)」と結びつくことで、感情をダイレクトに表現する機能があります。そのためもあって、非常にカラフルなニュアンスを表現することになる一方で、TPOに合った表現を正確に選ぶのは、ネイティブでも難しいわけです。
この「だ、である調」のニュアンスに関しては、世代によって、地方によって異なることもあり、日本語ネイティブの間でも「失礼だ」とか「そんなつもりじゃないのに」といったトラブルの元になります。ただし、外国人の場合は、エラーの度合いが大きいために、誤解されてトラブルになるよりは、面白いということで許されるケースが多いのも事実ですが、それはそれで問題だと思います。
これは1つの提案なのですが、そのようなニュアンスがむき出しの「だ、である調」ではなく、個人と個人が対等にお互いをリスペクトするような「です、ます調」を社会のデフォルトにして行くのはどうでしょうか?
今の若い日本語ネイティブの世代には「です、ます調」は敬語であって、パーソナルな感じがしないし冷たいというイメージを持たれているようです。ですが、それはあくまで内輪のコミュニケーションの場合であって、職場や、小売を含めた取引の現場などで、格下の人間は「です、ます」の使用を強制され、反対に目上が一方的に「だ、である」を使うのは非人間的な権力行使になる、と言いますか、それ自体がパワハラであるとも言えます。
そして、日本語の非ネイティブの場合は、「だ、である+助詞」の表現のパーフェクトなニュアンス発信・受信は大変に難しく、結局は非ネイティブとネイティブの間には薄い膜のようなものがいつまでも残るように思います。
超党派議員連盟の皆さんの言う「多様な文化を尊重した活力ある共生社会の実現」ということを具体的に実現するには、1番目の「各人の母語へのリスペクト」ということと、2番目の「です、ます調を社会のデフォルトに」ということが有効な手段になると思います。
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