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冷泉彰彦 プリンストン発 日本/アメリカ 新時代
「村上春樹による小澤征爾インタビュー」はどこが凄いのか?
この年末年始に読むべき本を1冊だけ挙げるとしたら『小澤征爾さんと、音楽について話をする』というタイトルで新潮社から出ている、小澤征爾氏に対する村上春樹氏によるインタビューを推薦したいと思います。インタビューを活字にしたという変則な作りの本ではありますが、期待した以上の内容であり読み応え十分でした。
まず驚いたのは村上氏のインタビューの姿勢です。一定程度の音楽の知識を前提としつつも、数多くの音楽ファンの「平均的な視点」から一切ブレることなく、適切な質問と反応を繰り出してくる、まるでプロのインタビューアーのような、最上のプロフェッショナリズムがそこには感じられました。
一連の「世界との距離感(デタッチメント)」を描いた小説群から、「ねじまき鳥」を転回点として、オウム事件の被害者と加害者の双方の取材などを通じて「他者との、そして世界との関わり(コミットメント)」へと創作の姿勢を移しつつあるという氏ですが、確かにこのインタビューにおける小澤氏への姿勢には、あらゆる意味において「他者=小澤氏」の全てと関わってゆこうという決意のようなものが感じられました。
ちなみにこの「コミットメント」を宣言して以降の村上氏の作品ですが、私は「世界と関わろうとしている」が「依然としてその世界に対しては痛々しい違和の感覚がある」というあたりが「現在位置」のように思います。例えば『IQ84』なども、私にはなかなか解釈が難しかったのですが、今のところは「世界へ近づけば近づくほど違和感を感じることへの表明」という読み方をするのが良いのではないかと思っています。
たぶん、村上氏は当面は「世界との和解」とも「世界を再度拒絶する」方向にも行かず、コミットしつつ違和感を受け止めるというスタンスを取り続けるのではないでしょうか・・・というような面倒な議論については、このインタビューはとりあえずは切り離して読めますし、それでいいのだと思います。
そんなわけで「プロの聞き手」としての村上氏も凄いのですが、それ以上に小澤氏の披瀝した音楽観、指揮者としての秘密を語った部分というのは、何とも貴重な内容で、私は唖然とさせられました。要するに、小澤氏という指揮者は、巨大な交響曲の楽譜(各パートが一気に並んだ総譜)を一からコツコツ研究して、音符の集合体を実際のオーケストラの音楽にするためには、どこをどう教えて行けばいいのかを「全部自分で作っている」のです。
現代という時代では、クラシックの楽曲に関してはCDを中心として、それこそ新旧取り混ぜた膨大な種類の演奏を聞くことができます。ですから、音楽ファンはそうした録音を聞き比べて表現の違いを楽しむわけですし、プロの演奏家もプロデューサーと相談して「意図した表現」をパッケージにした形でCDを作ることになります。また、演奏にユニークさを出すためには、過去の多くの演奏をCDで聞いて比較しながら自分の解釈を考えるということもあるかもしれません。
ですが、小澤氏の場合は恐らくは「他人の録音を聞いて、比較しながら自分の演奏解釈を作ってゆく」というようなことはやっていないようです。と言いますか、そうした手順は「カンニング行為」として自らに厳しく禁じているか、あるいは「とにかく自分自身でまず楽譜の分析をして音楽を作らないと指揮ができない」というスタイルなのです。
村上氏は、現代では人気作曲家となったマーラーの音楽を話題にしながら、小澤氏のこの「指揮の前に行う膨大な予習の実態」について聞き出すことに成功しています。私は過去の小澤氏の演奏や発言などから「どうもそういうことらしい」と思っていたのですが、それがハッキリと本人の口から語られ、活字になっているのを見て深い感慨にとらわれました。
完全に自分で楽譜を研究するとして、その結果としてどういうことが起きるのかというと、オーケストラが多少下手でも、あるいはその曲をよく知らなくても、楽譜の隅々まで「どうなっているかを知り、どう音にしたら良いかを予習してある」小澤氏としては、相手に合わせて的確な指導ができるわけです。何を聞かれても答えられるし、間違った音が出てもすぐに直せるということです。
その作業は、決して奇を衒ったものではなく、つまり「楽譜に書いてあること、作曲家が意図していること」を自然に音にするということが中心のようです。その結果として何が起きるのかというと、小澤氏の指揮の下では「上手でないオーケストラでも見事に曲の形ができる」「オーケストラの側に独自の表現欲求があれば、それを殺さずに活かせる」「比較的短い練習時間でも曲の格好が作れる」ということになります。
小澤氏の録音したCDが解釈としては平均的なものが多く、それほど強烈な個性を感じることは少ない一方で、ナマの演奏では独奏者やオーケストラの活き活きとした表現をサポートする事が多いのも、こうした音楽へのアプローチをしているのであれば、納得できるように思います。そして、それは恐らく大変に正しく、価値のある方法論なのだと思われます。
村上氏の引き出した小澤氏の発言の中で、更に興味深かったのは、小澤氏が自分の指揮のテクニックに関しては強烈な自負を持っていること、またCDなどの録音「ばかり」を聞いている人や、そもそも録音した音楽というものに根源的な懐疑を持っているという点です。
つまり、指揮者というのは、楽譜を隅から隅まで「自分で」研究して音楽の構成を作り上げて練習に臨み、オーケストラのあらゆる間違いや迷いに適切な回答を与え、尚且つ本番の演奏では活き活きとした音楽を作るためのリーダーシップを発揮する、そういうものであるという、それが「小澤スタイル」なのだということです。だから「俺の音楽を知りたければ生演奏を聞いて欲しい」ということになるのでしょう。
これは、小澤征爾という芸術家の正に本質だと思います。そのことを本人の口からこれだけ説得力のある形で引き出した村上氏のアプローチにも脱帽させられました。このお2人の組み合わせでは、東洋と西洋の文化の違いと音楽表現の問題という、小澤氏の芸術のもう一つの「巨大な秘密」についても対談として本にする計画がある、そうした予告も入っており、こちらも大変に楽しみです。
<編集部からのお知らせ>
ブログ更新は年末年始はお休みします。次回の更新は来年1月9日(月)の予定です。
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