コラム

オバマの「大見得」は政治的危機の突破口になるか?

2009年09月11日(金)12時44分

 9月9日(水)にオバマ大統領は暗礁に乗り上げていた「医療保険改革」への支持を挽回するために、両院議員総会での演説に踏み切りました。行政の長の議会演説というと、日本の「施政方針演説」に似ていますが、アメリカではもう少し上の格式を与えられています。というのは、大統領の議会演説というのは、通常は予算教書の一般演説(ステート・オブ・ユニオン・アドレス)に限られ、それ以外には、例えば9・11直後のブッシュ大統領の演説(2001年9月20日)など特別な場合だけです。背景には、三権分立の立場から、大統領が議会での論戦に直接参加して政治力を行使することを禁ずる思想があります。

 そんなわけで、大統領にとって、これは大きな賭けになりました。成功すれば政治的ポイントを稼げますが、失敗するとダメージが大きいからです。上院(定数100)議場では狭いので、下院議場を使って上下両院議員と閣僚が一同に会する中、呼び出しの「下院議長殿、合衆国大統領の入場です」というかけ声に続いて大統領が入場、周囲から握手攻めになるなか時間をかけて登壇して、1時間弱の演説を行う、その内容は3大ネットをはじめとするTVで全国中継される、これは大きなイベントに他なりません。

 さて、かなりのリスクを伴うこの演説ですが、内容は事前には極秘とされました。中には、反対の集中している「パブリック・オプション」という公的保険の創設案を取り下げるなど、思い切った妥協を行うのではとか、逆に反対派への厳しい反撃をするのでは、などと様々な憶測が流れていたのです。実際問題、入場直前の大統領(立っていた位置の関係で待っている表情がカメラに映ってしまっていました)は静かに通路の天井をみつめていましたし、ミシェル夫人の表情も硬いものがあって、ピリピリした緊張感が漂っていたのです。

 その演説ですが、非常に精緻な設計がされていたように思います。まず内容ですが、パブリック・オプションを含む具体案の変更はなし、逆に財源の明確化や保険加入拒否者への罰則規定を設けるなど、個別の反論には応えており、ファクトの部分で説得力が増したという点があります。また、不法移民への公的保険付与は「一切しない」と明言、この部分では民主党サイドも含めて一瞬議場はシーンとなりました。ペロシ下院議長は、この箇所で配られた原稿を確認していましたから、どうやら根回しはなかったようです。その一方で、共和党を中心とする反対派にはかなり厳しい攻撃も加えていました。米国議会では珍しいヤジ騒動まで起きたのですが、そのぐらい、反対派に対する大統領の姿勢は容赦のないものだったと思います。

 とにかく、原稿を徹底的に練り上げただけでなく、パフォーマンスも見事でした。正に演壇の上から議場全体をにらみ回して「大見得を切る」と言う感じで、合衆国大統領の面目躍如というところです。何と言っても、今回の演説の成功は、戦略が明確だったということです。それは「全員を説得するのはムリ」という観点から、「民主党右派、共和党左派」といった穏健派の取り込みにフォーカスしたということだと思います。イデオロギー的に「小さな政府、人生設計は自己責任」という考えに凝り固まった共和党右派は徹底して叩く一方で、実務的な観点から有権者に対する細かな不利益変更を恐れる穏健派を徹底して抱き込む、そうした明確な戦略を持った演説だった、それが成功要因のように思います。

 演説中に、共和党のジョー・ウィルソンという下院議員から「嘘つき」というヤジが飛ぶという一幕もありましたが、演説の内容が反対派には容赦ないものだったということも背景にはあるでしょう。但し、アメリカ議会の慣行からすると、大統領の演説中のヤジというのは悪質な違反ということで、本人は直後に全面謝罪に追い込まれています。ただ、謝罪後も「懲罰を」とか「議場での公式謝罪を」という声が民主党側からは出ており、根深い対立はまだ続いています。

 ちなみに、この日の午後8時からというタイミングについては、「視聴率」を危ぶむ声がありました。というのは、NBCが「スーパーモデル」選抜のリアリティショーの第1回放映を予定、またESPNではテニスの全米オープンの準々決勝でアメリカの17歳の少女メラニー・ウダン選手(ここまでに、シャラポア、ペトロバ、デメンティエバを破ってきた人気急上昇中の新人)が登場するということで、強力な「裏番組」の存在が懸念されたのです。ただ、NBCは新番組の時間を繰り下げて演説の生中継に参加してきましたし、アメリカ人として気になるウダン選手の方は、大統領演説の少し前に始まった序盤戦では既に相手(デンマークのボズニアッキ)に押されて精彩を欠いていました。そんなわけでTVの視聴率戦争という点でも大統領には強運がついて回ったようです。

 CNNによれば、TVで演説を見た人の67%が改革案を支持しているそうです。また演説を見た人の中の14%が演説を見て意見を変えたと表明しているという点から見れば、成果はあったと評価すべきでしょう。ただ、この調査対象に関しては母数が民主党に偏っているそうですから、楽観は許されません。この演説で出てきた「反転」気運に上手く乗れるか、大統領としては正念場が続きます。

プロフィール

冷泉彰彦

(れいぜい あきひこ)ニュージャージー州在住。作家・ジャーナリスト。プリンストン日本語学校高等部主任。1959年東京生まれ。東京大学文学部卒業。コロンビア大学大学院修士(日本語教授法)。福武書店(現ベネッセコーポレーション)勤務を経て93年に渡米。

最新刊『自動運転「戦場」ルポ ウーバー、グーグル、日本勢――クルマの近未来』(朝日新書)が7月13日に発売。近著に『アイビーリーグの入り方 アメリカ大学入試の知られざる実態と名門大学の合格基準』(CCCメディアハウス)など。メールマガジンJMM(村上龍編集長)で「FROM911、USAレポート」(www.jmm.co.jp/)を連載中。週刊メルマガ(有料)「冷泉彰彦のプリンストン通信」配信中。

あわせて読みたい
ニュース速報

ビジネス

ECB総裁ら、緩やかな利下げに前向き 「トランプ関

ビジネス

中国、保険会社に株式投資拡大を指示へ 株価支援策

ビジネス

不確実性高いがユーロ圏インフレは目標収束へ=スペイ

ビジネス

スイス中銀、必要ならマイナス金利や為替介入の用意=
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:トランプの頭の中
特集:トランプの頭の中
2025年1月28日号(1/21発売)

いよいよ始まる第2次トランプ政権。再任大統領の行動原理と世界観を知る

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    有害なティーバッグをどう見分けるか?...研究者のアドバイス【最新研究・続報】
  • 2
    被害の全容が見通せない、LAの山火事...見渡す限りの焼け野原
  • 3
    「バイデン...寝てる?」トランプ就任式で「スリーピー・ジョー」が居眠りか...動画で検証
  • 4
    戦場に「杖をつく兵士」を送り込むロシア軍...負傷兵…
  • 5
    ティーバッグから有害物質が放出されている...研究者…
  • 6
    失礼すぎる!「1人ディズニー」を楽しむ男性に、女性…
  • 7
    大統領令とは何か? 覆されることはあるのか、何で…
  • 8
    欧州だけでも「十分足りる」...トランプがウクライナ…
  • 9
    電子レンジは「バクテリアの温床」...どう掃除すれば…
  • 10
    世界第3位の経済大国...「前年比0.2%減」マイナス経…
  • 1
    有害なティーバッグをどう見分けるか?...研究者のアドバイス【最新研究・続報】
  • 2
    失礼すぎる!「1人ディズニー」を楽しむ男性に、女性客が「気味が悪い」...男性の反撃に「完璧な対処」の声
  • 3
    「拷問に近いことも...」獲得賞金は10億円、最も稼いでいるプロゲーマーが語る「eスポーツのリアル」
  • 4
    【クイズ】世界で1番マイクロプラスチックを「食べて…
  • 5
    ティーバッグから有害物質が放出されている...研究者…
  • 6
    轟音に次ぐ轟音...ロシア国内の化学工場を夜間に襲う…
  • 7
    北朝鮮兵が「下品なビデオ」を見ている...ロシア軍参…
  • 8
    【クイズ】次のうち、和製英語「ではない」のはどれ…
  • 9
    被害の全容が見通せない、LAの山火事...見渡す限りの…
  • 10
    ドラマ「海に眠るダイヤモンド」で再注目...軍艦島の…
  • 1
    ティーバッグから有害物質が放出されている...研究者が警告【最新研究】
  • 2
    大腸がんの原因になる食品とは?...がん治療に革命をもたらす可能性も【最新研究】
  • 3
    体の筋肉量が落ちにくくなる3つの条件は?...和田秀樹医師に聞く「老けない」最強の食事法
  • 4
    夜空を切り裂いた「爆発の閃光」...「ロシア北方艦隊…
  • 5
    有害なティーバッグをどう見分けるか?...研究者のア…
  • 6
    TBS日曜劇場が描かなかった坑夫生活...東京ドーム1.3…
  • 7
    膝が痛くても足腰が弱くても、一生ぐんぐん歩けるよ…
  • 8
    「涙止まらん...」トリミングの結果、何の動物か分か…
  • 9
    「戦死証明書」を渡され...ロシアで戦死した北朝鮮兵…
  • 10
    「腹の底から笑った!」ママの「アダルト」なクリス…
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story