コラム

監督の子供時代の思い出に着想を得た韓国系移民家族の物語『ミナリ』

2021年03月18日(木)18時21分

本作はデビッドのクローズアップから始まり、彼の視点が基調になる。心臓病を抱える彼は走ることを禁じられている。がさつな祖母の不用意な発言に敏感に反応し、傷つく。だが、とんでもないいたずらがきっかけで、彼らの関係は変化していく。

ある日、散歩に出た祖母と姉のアンとデビッドは、水辺まで足を延ばす。子供たちは、低湿地にはヘビがいるため、下りることを禁じられている。そんなことを気にしない祖母は、湿地に韓国から持ってきたミナリ(セリ)の種を蒔く。デビッドも姉の制止を振り切ってそこに下り、湿地が彼らにとってある種の聖域になる。

その湿地をめぐるエピソードもまた、オコナーを連想させる。彼女の作品では、見えるものと見えないものにさり気なく関心が振り向けられる。先述の短編『火の中の輪』で少女が密かに見つめているのは、彼女の母親が営む牧場に勝手に居つき、悪さを繰り返す子供たちだ。その牧場で働く女性は、彼らのことを警戒し、「見えないよりも、見える所にいてもらいたいもんだ。なにをしてるかわかりますからね」と語る。

ちなみに、姿が見えなくなった子供たちが引き起こすのが森林火災であることは、頭の隅に留めておいてもよいだろう。

内面と自分が属する土地に深く降りていく

本作では、祖母と湿地で過ごすデビッドが、少し離れた木の枝にヘビがいることに気づき、石を投げて追い払おうとする。すると祖母は、それを止め、「石を投げると隠れてしまう。見えないより見えた方がいい。隠れてる方が危険で怖いんだよ」と教える。

この見えるものと見えないものへの視点は、他のエピソードにも繋がっていく。脳卒中を発症した祖母は、退院後、部屋の隅の一点を見つめるようになる。一家に食事に招かれたポールは、そこになにか気配を感じ、悪いものを祓おうとする。これまでどちらかといえば、ポールを変人と見ていたモニカは、彼と一緒に祈りだし、ジェイコブを苛立たせる。

だが、そんな現実的なジェイコブも見えないものと深く関わっている。本作の導入部で、土地を手に入れたジェイコブは、ダウジングで水脈を探し出す男の売り込みを断り、自身の判断で井戸を掘り、地下水を汲み上げる。だがやがてその水は枯れ、代わりに水道水を使うため家の蛇口から水が出なくなる。祖母とデビッドの聖域はそんな展開とも無関係ではない。

オコナーは「作家と表現」と題された小論文で、作家が進む方向について、自分の内面と自分が属する土地に深く降りていく必要性を説いている。チョン監督は本作でそれを実践し、様々なエピソードが先に引用したオコナーについての彼の発言に集約されていく。

「読者が最も好きになれない登場人物が、他者に対して恵みと救いの手を差し伸べる」という発言は、本作にどのように当てはまるのか。祖母は、決して好きになれない登場人物ではないが、その存在は確かにオコナーの世界に通じる。

祖母は教会で献金をくすねる。モニカが教会の教えをデビッドに植えつけようとすることに反発する。そういう意味では信仰心のかけらもないように見える。だが、そんな彼女が、湿地でミナリを育て、デビッドを変え、見えないものの力で家族を結びつけていくところに本作の深みがある。

チョン監督は、内面への下降と土地への下降を通して、自身の思い出と大地から独自の世界を切り拓いている。

『ミナリ』
3月19日(金) TOHOシネマズシャンテほか全国公開
© 2020 A24 DISTRIBUTION, LLC All Rights Reserved.

プロフィール

大場正明

評論家。
1957年、神奈川県生まれ。中央大学法学部卒。「CDジャーナル」、「宝島」、「キネマ旬報」などに寄稿。「週刊朝日」の映画星取表を担当中。著書・編著書は『サバービアの憂鬱——アメリカン・ファミリーの光と影』(東京書籍)、『CineLesson15 アメリカ映画主義』(フィルムアート社)、『90年代アメリカ映画100』(芸術新聞社)など。趣味は登山、温泉・霊場巡り、写真。
ホームページ/ブログは、“crisscross”“楽土慢遊”“Into the Wild 2.0”

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ビジネス

アングル:「豪華装備」競う中国EVメーカー、西側と

ビジネス

NY外為市場=ドルが158円台乗せ、日銀の現状維持

ビジネス

米国株式市場=上昇、大型グロース株高い

ビジネス

米PCE価格指数、インフレ率の緩やかな上昇示す 個
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:世界が愛した日本アニメ30
特集:世界が愛した日本アニメ30
2024年4月30日/2024年5月 7日号(4/23発売)

『AKIRA』からジブリ、『鬼滅の刃』まで、日本アニメは今や世界でより消費されている

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士が教えるスナック菓子を控えるよりも美容と健康に大事なこと

  • 2

    ロシア「BUK-M1」が1発も撃てずに吹き飛ぶ瞬間...ミサイル発射寸前の「砲撃成功」動画をウクライナが公開

  • 3

    「すごい胸でごめんなさい」容姿と演技を酷評された米女優、「過激衣装」写真での切り返しに称賛集まる

  • 4

    中国の最新鋭ステルス爆撃機H20は「恐れるに足らず」…

  • 5

    タトゥーだけではなかった...バイキングが行っていた…

  • 6

    アカデミー賞監督の「英語スピーチ格差」を考える

  • 7

    ウクライナ軍ブラッドレー歩兵戦闘車の強力な射撃を…

  • 8

    19世紀イタリア、全世界を巻き込んだ論争『エドガル…

  • 9

    日本マンガ、なぜか北米で爆売れ中...背景に「コロナ…

  • 10

    大谷選手は被害者だけど「失格」...日本人の弱点は「…

  • 1

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士が教えるスナック菓子を控えるよりも美容と健康に大事なこと

  • 2

    世界3位の経済大国にはなれない?インドが「過大評価」されていると言える理由

  • 3

    タトゥーだけではなかった...バイキングが行っていた「身体改造」の実態...出土した「遺骨」で初の発見

  • 4

    「世界中の全機が要注意」...ボーイング内部告発者の…

  • 5

    医学博士で管理栄養士『100年栄養』の著者が警鐘を鳴…

  • 6

    最強生物クマムシが、大量の放射線を浴びても死なな…

  • 7

    ハーバード大学で150年以上教えられる作文術「オレオ…

  • 8

    ロシア「BUK-M1」が1発も撃てずに吹き飛ぶ瞬間...ミ…

  • 9

    「すごい胸でごめんなさい」容姿と演技を酷評された…

  • 10

    「たった1日で1年分」の異常豪雨...「砂漠の地」ドバ…

  • 1

    韓国で「イエス・ジャパン」ブームが起きている

  • 2

    ロシアの迫撃砲RBU6000「スメルチ2」、爆発・炎上の瞬間映像をウクライナ軍が公開...ドネツク州で激戦続く

  • 3

    バルチック艦隊、自国の船をミサイル「誤爆」で撃沈する動画...「吹き飛ばされた」と遺族(ロシア報道)

  • 4

    最強生物クマムシが、大量の放射線を浴びても死なな…

  • 5

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士…

  • 6

    人から褒められた時、どう返事してますか? ブッダが…

  • 7

    ロシアが前線に投入した地上戦闘ロボットをウクライ…

  • 8

    「燃料気化爆弾」搭載ドローンがロシア軍拠点に突入…

  • 9

    世界3位の経済大国にはなれない?インドが「過大評価…

  • 10

    1500年前の中国の皇帝・武帝の「顔」、DNAから復元に…

日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story