映画『太陽の子』で考える「名前を奪う」行為の罪深さ
このほど、上映会のために来日したパナイ役のアロ・カリティン・パチラルさんに、このシーンを演じた経緯について語ってもらったのだが、そこで彼女は、自らの個人的体験をこんな風に明かした。
彼女は、台湾東部の花蓮にあるアミ族の村で生まれた。生まれた時に「歌う神」を意味するアロという名前をつけられた。アミ族の名前には姓がない。そして、母系社会である。アロは名前で、カリティンは母親の名前。パチラルは太陽という意味があり、アミ族のなかでの氏族集団の名前である。姓と名を中心とする我々儒教文明の名前とは概念からして異なっている。
アロという名前で周囲から呼ばれ続けた彼女だが、戸籍では中国語名で登録しなくてはならない。彼女は中国語の名前もつけたが、家庭では使うことはなく、そんな中国語の名前は忘れて育った。
しかし、小学校に入る時には中国語名を使わなくてはならなくなった。クラスで皆の前で自己紹介をしたとき、中国語にアミ族のなまりがあることで、クラス中から大声で笑われてしまった。その後もクラスメイトに言葉をからかわれ続けた。そこで彼女は二度とアミ語を使うまいと心に決め、中国語を一生懸命勉強し、3年生になるころには、スピーチコンテストで優勝するほどになった。家庭でも祖母がアミ語で話しかけても、中国語で答えるほど徹底し、大学に合格したときは「国語」が最も得意な科目になっていたという。
そんな彼女に転機が訪れたのは大学1年生の時だった。育ての親だった祖父が亡くなった。故郷の花蓮に帰ったとき、祖母をアミ語で慰める言葉が一つも思い当たらなかった。そのことがショックで、花蓮から台北までの帰りの列車で数時間泣き続けたという。彼女がそこで決めたことが二つあった。一つはアミ語による楽曲の創作をてがけることでアミ語を学び直し、同じような境遇に置かれているアミ族の子供たちに、アミ語に誇りを持ってアミ語を捨てないでもらうこと。そして、自分自身がアミ語の名前を取り戻すことだった。
映画でこのシーンを演じた彼女の演技が、初の映画出演でありながら、極めて真に迫るものであったことは、映画を見た人々の共通する意見だが、その背後にこのような本人の体験があったとは想像を超えたことだった。
主流の文化に「適合」を迫られ続けた先住民の歴史
台湾には、人口54万人、全人口の2%を占める先住民16部族が暮らしている。先住民は台湾で「原住民」と呼ばれる。その字のごとく、台湾という土地にもとより住んでいた人々だ。彼らのいた土地に漢人が移住し、日本が統治し、戦後また多くの外省人が国民党の台湾撤退と共に台湾に流入した結果形成された多元社会が、台湾社会の姿である。
そのなかで先住民は少数であるが故に清朝時代から日本時代、戦後の国民党政権下で、常に主流の文化に「適合」を迫られる対象となり、名前の変更を求められてきた。そんな彼らが1980年代の民主化と共に本格化した先住民の権利回復運動のなかで「伝統的名前の回復」を掲げて取り組み、1995年に「姓名条例」などの改正が行われ、漢人名称ではなく、先住民の名称を選択できるようになった。アロさんも大学時代に名前を伝統のものに戻したという。
先住民文化においては、姓という概念はなく、名前+母(父)の名前+氏族(多くは土地や自然と関わる名称)と指摘したが、名前が先住民文化のなかで、自分の存在のみならず、自分のつながる過去や土地と分ちがたく結びつくものを証明するアイデンティティそのものであることが分かる。
そうした背景を考えながらこの映画を見ていると、「自分を取り戻す」ことと、「名前を取り戻す」ことが、ほとんどイコールになっており、人々から「名前を奪う」という行為の罪深さも同時に深く感じるところである。
理解すべきは、名前の問題を論じるとき、我々はその相手のアイデンティティを論じているのに等しい、ということである。アイデンティティは人間存在の最深部に属するものだ。名前を奪うことがいかに他者を傷つけるかは、台湾の先住民に限らず、日本自身も戦前に手痛い経験を経てきている問題である。映画『太陽の子』は、そんな「名前」の大切さを我々に気づかせてくれる。そのことに対する配慮をいかなる場合でも忘れまいと改めて心に刻みたい。
*映画『太陽の子』の日本における上映情報は FBファンページからご参照下さい。10月7日(金)夜には、東京・虎ノ門の笹川平和財団で上映会を行います。この上映会の上映情報はこちらへ。本作品の上映プロジェクトについては野嶋剛の公式HPでその経緯や理由を詳しく説明しております。
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