MMT(現代貨幣理論)の批判的検討(2)─貨幣供給の内生性と外生性
正統派における貨幣外生・内生の位置付け
ポスト・ケインジアンの内生的貨幣供給論は、イギリス・ケインジアンを代表する存在であったニコラス・カルドアが1970年代から80年代初頭にかけて展開していたマネタリズム批判を発端としている(代表的には1982年に出版されたThe Scourge of Monetarism)。確かに、マネタリズムの中核理論は「物価は貨幣の供給量によって決まる」という古典派経済学以来の貨幣数量説であり、それはそれ自体としては典型的な貨幣供給外生モデルである。それがまさに、内生的貨幣供給派ポスト・ケインジアンやMMT派が未だにマネタリズムを親の敵でもあるかのように論難するゆえんである。
実際のところは、このマネタリズムですら必ずしも内生的貨幣供給論とは矛盾しない。マネタリズムの考え方は、1980年代以降、中央銀行の金融政策運営に実際に影響を与え始めたが、それは「中央銀行がマネー・サプライを安定化させるように政策金利を調整していく」という、いわゆるマネタリー・ターゲティングとしてであった。マネー・サプライは一般に、銀行貸出に影響を与えるさまざまな外生的要因によって増減する。上述のように、それは他方で中央銀行が決める政策金利からも影響を受ける。中央銀行はしたがって、マネー・サプライの安定化のためには、その外生的な増減を吸収するように政策金利を調整していかなければならない。マネタリズムの現実的実装としてのこのマネタリー・ターゲティングは、少なくとも「その時々に目標とされた政策金利を維持する」という局面においては、MMTや内生的貨幣供給論が強調する「現実」と何ら変わることはないのである。
これまでの代表的な「正統派」の経済モデルを振り返ってみても、それらが貨幣外生一辺倒であったとは決していえない。上述のように、利子率と貨幣供給との間には「利子率の上昇(下落)は貨幣供給の縮小(拡大)をもたらす」という負の関係があるので、一方を外生変数として固定すれば他方は必ず内生変数となる。したがって、一般的なマクロ経済モデルの多くは「利子率外生、貨幣内生」か「利子率内生、貨幣外生」のどちらかである。少なくとも、両方を外生扱いにはできないということである。
MMT派の教科書Macroeconomics第28章では、「新しい貨幣的合意(NMC)」が成立する以前の「亜流ケインジアン」たちにとっての支配的マクロ経済モデルとして、IS-LMモデルが批判的に紹介されている。IS-LMモデルとは、一国の所得と利子率を、それぞれ財市場と貨幣市場の均衡を示すIS曲線とLM曲線の均衡点として導くモデルである。これは、利子率が内生的に決まるモデルであるから、貨幣供給は当然ながら外生である。
IS-LMモデルは、イギリスの経済学者ジョン・リチャード・ヒックスがケインズの『一般理論』(1936年)をモデル化したものである。つまり、ポスト・ケインジアンによる「ケインズの本来あるべき姿」についての思い入れ的解釈がどうであれ、ケインズ本人は『一般理論』では間違いなく貨幣外生を仮定していたのである。
他方で、『貨幣論』(1930年)でのケインズは、『一般理論』とは異なり、「利子率外生、貨幣内生」のモデルを想定していた。それは、『一般理論』が出現する以前には、ケインズを含む経済学者の多くが、スェーデンの経済学者クヌート・ヴィクセルの『利子と物価』(1898年)の定式に従い、中央銀行が利子率を外生的に操作し、貨幣供給はそれに応じて内生的に決まるという形式のモデルを用いて景気変動の問題を考察していたためである。このヴィクセルの追随者たちは、経済学史家によって「ヴィクセル・コネクション」と呼ばれている。
この金融政策についてのヴィクセル的把握の伝統は、IS-LMモデルの隆盛によっていったんは途絶えたかのように思われた。しかしそれは、「新しい貨幣的合意(NMC)」の成立とともに見事に復活した。Macroeconomics第30章のAppendixでも解説されている通り、NMCの背後にあるニュー・ケインジアンのモデルは、利子率が金融政策を表示する唯一の変数とされ、貨幣供給量は明示的には現れないため、しばしばネオ・ヴィクセリアン・モデルともいわれている。
MMTのIS-LMモデルを用いた説明
以上から明らかなように、正統派にとっては、貨幣供給の扱いが内生か外生かは、単に現実をどのように抽象化するのが適切かという観点から考察されるべき問題であり、マクロ経済に関する把握を本質的に左右する問題ではない。実際、MMTから得られる結論の少なくとも一部は、IS-LMモデルで貨幣供給量ではなく利子率を外生化すれば十分に説明可能なのである。
この左の図は、貨幣外生、利子率内生が仮定された、通常のIS-LM分析である。その図が示すように、政府が赤字財政支出を行えば、IS曲線が右にシフトし、利子率と所得はともに拡大する。それに対して、右の図は、利子率外生が仮定された「貨幣内生版のIS-LM分析」である。ここでは、MMT派や内生的貨幣供給派ポスト・ケインジアンが通常想定するように、中央銀行は常に利子率を一定の水準に保つように金融調節を行うことが仮定される。その場合、図が示す通り、LM曲線は必ず右にシフトする。それは、利子率を外生化した場合には、政府の赤字財政支出の結果、貨幣供給の自動的拡大メカニズムが作用することを意味する。
この「政府の赤字財政政策が貨幣供給の自動的拡大をもたらす」というメカニズムは、MMT派が想定する図式とほぼ同じである。より詳しく吟味すると両者の間にはやや異なる部分も存在するが、それは主に、IS-LMモデルにおけるIS曲線すなわち財市場分析に相当するものがMMTには明示的には存在していないためである(その問題は改めて取り扱う)。
ところで、この利子率内生版と外生版の二つのIS-LM分析を比較すると、政府が同じように赤字財政支出を行う場合でも、その結果には一つの大きな相違が存在することが分かる。それは、利子率外生版の方では、政府の赤字財政支出によって貨幣供給の自動的拡大がもたらされる結果、「所得のより一層大きな拡大」が実現されている点である。問題は、そのことをマクロ経済の安定化という観点からどう評価すべきかにある。
マクロ経済政策に関する「正統派」の文献では、こうした「利子率をできるだけ安定化させようとする」金融政策運営は、一般に「同調的金融政策」と呼ばれている。MMT派や内生的貨幣供給派ポスト・ケインジアンはいわば、この同調的政策運営こそが金融政策の「常態」と考えているわけである。
それに対して、「正統派」の側は、金融政策のそうしたあり方をほぼ一貫して批判し続けてきた。その同調的金融政策の持つ問題性を最も理論的に明確に示した経済学者こそが、上述のヴィクセルである。しかしそれは実は、19世紀初頭のデヴィッド・リカードウらによるイングランド銀行批判から、ごく最近の金融政策に関するさまざまな論争に至るまで、金融政策をめぐる思考の対立のまさに中核であり続けてきたのである。
(以下、MMTの批判的検討(3)に続く)
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