コラム

政府債務はどこまで将来世代の負担なのか

2017年07月20日(木)19時00分

ラーナーの負担否定論の意義と問題点

このラーナーの議論は、政府債務負担問題についてのありがちな誤解を払拭する上では、大きな意義を持っている。人々はしばしば、赤字財政によって生じる政府債務に関して、家計が持つ債務と同じように「将来の可処分所得がその分だけ減ってしまう」かのように考えがちである。それは、財政赤字が外債によって賄われている場合にはその通りであるが、自国の国債によって賄われている場合にはそうとはいえない。

というのは、人々の消費可能性は常にその時点での生産と所得のみによって制約されているのであり、政府債務や税負担の大きさとは基本的に無関係だからである。政府債務がどれだけ大きくても、それが国内で完結している限り、必ずそれと同じだけの債権保有者が存在するのだから、その債務は一国全体ではすべてネットアウトされる。

他方で、このラーナーの議論には、一つの大きな問題点が存在する。それは、「赤字国債の発行が将来時点における一国の消費可能性そのものを縮小させる」可能性を十分に考慮していない点である。

一般には、政府がその支出を赤字国債の発行によって賄えば、資本市場が逼迫して金利が上昇するか、対外借り入れが増加して経常収支赤字が拡大するか、あるいはその両方が生じる。1980年前半にアメリカのロナルド・レーガン政権は、レーガノミクスの名の下に大規模な所得減税政策を行ったが、その時に生じたのが、この金利上昇と経常収支赤字の拡大であった。金利の上昇とは民間投資がクラウドアウトされたことを意味し、それは一国の将来の生産可能性が縮小したことを意味するから、一国の将来の消費可能性はその分だけ縮小する。また、外債に関する上の議論から明らかなように、一国の対外借り入れの増加とは、将来世代の負担そのものである。

ただし、赤字国債の発行が民間投資減少や経常収支赤字拡大をもたらすその程度は、経済が完全雇用にあるか不完全雇用にあるかで大きく異なる。所得の拡大余地が存在しない完全雇用経済では、国債発行によって政府が民間需要を奪えば、それは即座に民間投資のクラウドアウトや海外からの借り入れ増加につながる。

しかし、ケインズ的な財政乗数モデル(45度線モデル)が示すように、不完全雇用経済では、国債発行による政府支出の増加によって所得それ自体が拡大するため、貯蓄も同時に拡大する。その結果、金利上昇や経常収支赤字拡大は完全雇用時よりも抑制される。

つまり、赤字財政政策による「将来世代の負担」の程度は、不完全雇用時は完全雇用時よりも小さくなる。その意味で、「赤字国債発行による将来世代への負担転嫁は存在しない」というラーナー命題がより高い妥当性を持つのは、財政赤字拡大がそれほど大きな投資減少や対外借り入れ拡大に結びつかないような不完全雇用経済においてなのである。

「若い世代のための早期増税」は妥当か

以上の議論を踏まえた上で、以下では、早期増税の必要性を「若年世代の負担の軽減」に求める議論が、現状の日本経済においてどれだけ妥当性を持つかを考えてみることにしよう。

プロフィール

野口旭

1958年生まれ。東京大学経済学部卒業。
同大学院経済学研究科博士課程単位取得退学。専修大学助教授等を経て、1997年から専修大学経済学部教授。専門は国際経済、マクロ経済、経済政策。『エコノミストたちの歪んだ水晶玉』(東洋経済新報社)、『グローバル経済を学ぶ』(ちくま新書)、『経済政策形成の研究』(編著、ナカニシヤ出版)、『世界は危機を克服する―ケインズ主義2.0』(東洋経済新報社)、『アベノミクスが変えた日本経済』 (ちくま新書)、など著書多数。

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