コラム

日銀の長期金利操作政策が奏功した理由

2017年02月06日(月)15時30分

この過去の英米のケースは、基本的に長期金利上昇の抑制を目的とするものであった。それに対して、今回の日銀の長期金利操作政策は、少なくともその導入時は、マイナスの領域に沈んでいた長期金利の「引き上げ」を目的としていた。その点では、これは金融の緩和というよりはむしろ引き締めというべき措置であった。それが当初、金融機関からは歓迎されながらも、むしろ黒田日銀の異次元金融緩和政策を支持していた論者の一部から強い批判を招いたのは、そのためである。

確かに、この日銀の長期金利操作政策は、金融政策単体として見た場合には、明らかに引き締め方向への動きであった。しかし実は、それを拡張的な赤字財政政策と組み合わせた場合には、増幅的な緩和効果が生じるのである。

一般的には、政府が財政支出を拡大させて赤字国債を発行すると、資金市場が逼迫し、長期国債金利が上昇する。しかし、日銀は長期金利をゼロ近傍に維持する政策を行っているのだから、その長期金利の上昇は許容されない。日銀は、その長期金利の上昇圧力を抑えつけるために、長期国債の買い入れを拡大しなければならない。つまり、日銀の長期金利操作政策のもとでは、政府財政赤字が拡大して長期金利が上昇しようとすると、受動的かつ自動的に金融緩和が実現されることになるわけである。

興味深いのは、その一部は単なる偶然であったかもしれないが、財政政策の側でも、結果としてこれと連動するような動きが生じていたことである。

その一つの現れは、メディアの一部で「アベノミクスの生みの親の変節」などといった意味不明なレッテル貼りが散見された、内閣府顧問である浜田宏一イェール大学名誉教授による「財政政策重視」発言である(たとえば浜田宏一氏インタビュー「金融緩和を続けながら財政出動を」『週刊エコノミスト』)。この浜田教授の主張それ自体は、デフレ脱却のためには現状では金融政策単体ではなく財政政策の助けが必要となっているというものであり、その意味で「変節」というのは単なる言いがかりにすぎない。アベノミスクスには本来、第2の矢としての「機動的な財政政策」が含まれていたのだから、むしろ原点に回帰したとも言えるのである。

留意すべきは、この浜田教授の提言が、日銀の政策に最も手詰まり感が漂っていた2106年秋という時期に行われていた点である。浜田教授は、その自らの提言について、ノーベル賞経済学者のクリストファー・シムズが昨年8月に行った講演から啓示を得たことを明かしている。そしてそのシムズの議論は、「物価の財政理論」というやや抽象的な経済理論的枠組みに基づいて展開されている。しかし、浜田教授の上記のインタビューなどからは、「現状の日銀の政策枠組みの中で緩和効果を高めるためには、財政支出を拡大することが必要」という、より実際的な認識が垣間見える。それは、2017年初頭に来日して行われたシムズ本人の講演やインタビューでの発言においても同様である。

結局、本年1月31日に成立した政府の第3次補正予算の中には、1兆7千億円あまりの赤字国債(特例公債)追加発行が盛り込まれた。財務省が最も嫌うのが赤字国債発行であるから、これはおそらく官邸主導によるものであろう。

その政府の赤字国債発行方針に対して、野党および反アベノミクス派の論者やメディアは、税収減を補てんする赤字国債発行はリーマン・ショック以来となることなどを強調して、例のごとくアベノミクスの破綻を言い立てた。しかし、日銀の長期金利操作政策を前提とすれば、この政府による赤字国債の発行拡大は、単に財政政策としてのみではなく、金融政策の効果を高めるためにも必要な、まさに一石二鳥の措置だったわけである。

プロフィール

野口旭

1958年生まれ。東京大学経済学部卒業。
同大学院経済学研究科博士課程単位取得退学。専修大学助教授等を経て、1997年から専修大学経済学部教授。専門は国際経済、マクロ経済、経済政策。『エコノミストたちの歪んだ水晶玉』(東洋経済新報社)、『グローバル経済を学ぶ』(ちくま新書)、『経済政策形成の研究』(編著、ナカニシヤ出版)、『世界は危機を克服する―ケインズ主義2.0』(東洋経済新報社)、『アベノミクスが変えた日本経済』 (ちくま新書)、など著書多数。

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