強盗殺人よりも「回転寿司テロ」が気になってしまう私たち
「適度な敵意は爽快である」(侏儒の言葉)
怒っているようで、実はわれわれは彼の起こした騒動を、心のどこかで面白がっているのかもしれない。スクリーンの向こうで繰り広げられた数秒間の狼藉にあっと驚かされ、直ちに強い敵意を催した。「敵意は寒気と選ぶ所はない。適度に感ずる時は爽快であり、且又健康を保つ上には何びとにも絶対に必要である」という言葉がある(芥川龍之介、『侏儒の言葉』)。湯呑みペロペロ男に対して感じるぐらいの程よい敵意は、実に爽快で心地よいものである。
世の中にはもっと憎むべき悪が、無数にある。理不尽な犯罪、税金をくすねる小役人、凄惨な児童虐待、地位を利用した性加害などなど、新聞を開けば卑劣非道なニュースがいくらでもあるのに、私たちの関心はそちらには向かわない。面白くないからだ。われわれはなぜか、強盗殺人よりも回転寿司テロのほうを憎んでしまう。なんという小市民ぶりだろう。
そういえば、中国人は外食を嫌がる人が比較的多い。「何が入っているか分からないから不衛生」というのだ。日本社会は中国ほど性悪説ではないけれど、疑い始めればキリがないのは同じだろう。私たちは誰かの唾液のついた湯呑みを使っているのかもしれないが、それでも元気に暮らしている。ならもう、それで良いではないか。誰かの唾液付きの湯呑みに当たる確率は、宝くじで1億円を当てるよりも低いであろう。
最後に、世の中で言われている方法とは逆方向の解決策を提案してみたい。まったくコストがかからず、直ちに解決できる方法がある。
許してやればいいのだ。
当事者同士では話し合いも必要だろうが、スシローだって、いつまでもあの不埒な若者を責め続けるわけにもいくまい。ならばさっさと許してしまえば良いのだ。ましてや、当事者でも何でもないわれわれは、「馬鹿な若者がいるね」で終わらせれば済む話である。
甘い対応では同じことが繰り返されてしまうって? そうかもしれない。でも、今度はきっと彼らもバレないように慎重にコトを進めるだろう。動画を撮ったとしても、安易にネットにあげることは減っていくだろう。ネットにあげさえしなければ、私たちは知らぬが仏、昭和時代と同じである。それでもまた動画がアップされたら、また許す。それで良いではないか。
スマホは、われわれが知りたくないことまで、何でも向こうから知らせてくる。だったらこちらも、いちいち目くじらを立てていては身が持たない。許してやろうではないか。今の中高年や高齢者たちも、若い時分にはきっと似たような逸脱を繰り返してきたのだから。
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