「立花隆は苦手だった」...それでも「知の巨人」を描く決心をしたのはなぜだったのか?
ただ、スタートがなかなか切れなかった。アカデミック・ジャーナリズム特集への起用が立花論を始めるきっかけになればと目論んだが、不発に終わった。そんなこんなのうちに立花は本当に人生の幕を引いてしまった。
さすがに筆者も改心した。主要な作品は既に読んでいたが、立花が自分自身の過去を語る自伝的な作品を本格的に読み始めたのはそれからだった。
それは、大袈裟な言い方に聞こえるかも知れないが、衝撃的な体験だった。苦手だったはずの立花の人生に筆者自身の過去の経験と重なる部分があまりにも多く、筆者の興味関心と響き合う内容が本当に次から次へと見つかったのだ。
立花と同じく小さい頃から本の虫だった人は筆者に限らず少なくないだろうが、キリスト教とつかず離れずの生活をしたり、古今東西の思想に触れようと大学時代に様々な言語を習得したりしていた立花に筆者は強い親近感を覚えた。筆者もそうだったからだ。
ただ、読書範囲、読書量を始めとして、悔しいことに筆者の方が常にスケールが小さい。我が人生を振り返ってみると、立花を避けて、あえて違う道を行こうとしていたと書いたが、とんでもない、実は同じ道を後から追いかけていた。自分がまるで立花の縮小劣化コピーのように思えてきた。
だが、スケールは小さくとも同じ道を通ってきたがゆえに気づけることもある。
武田徹(たけだ・とおる)
1958年生まれ。ジャーナリスト、評論家、専修大学文学部教授。国際基督教大学大学院比較文化研究科博士前期課程修了。著書に『流行人類学クロニクル』(サントリー学芸賞受賞)、『「隔離」という病い』『偽満州国論』『「核」論』『戦争報道』『原発報道とメディア』『暴力的風景論』『日本語とジャーナリズム』『なぜアマゾンは1円で本が売れるのか』『日本ノンフィクション史』『現代日本を読む』など。
『神と人と言葉と 評伝・立花隆』
武田徹[著]
中央公論新社[刊]
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