美人女給は約100年前に現れた──教養としての「夜の銀座史」
二大百貨店の進出で、銀座の歓楽街化が加速度的に進んだ
『夜の銀座史』では、上記の女給ブームに加え、明治から戦後までの女給の姿をまとめたのだが、そのなかでも関東大震災後の変化のスピードには驚かされた。
今和次郎たち「バラック装飾社」が店舗装飾を手掛けた「カフェー・キリン」が銀座2丁目にオープンしたのは震災からわずか2か月後であったし、震災から4ヵ月後の大晦日に銀座に繰り出した人びとは輝くネオンに感激した(『夜の銀座史』p68~70)。
やがて銀座に松坂屋と松屋という二大百貨店が進出すると、個人商店は百貨店との競合を避けて飲食業態や不動産業へ転向し、銀座の歓楽街化が加速度的に進むきっかけとなった。
このように、昼の銀座と夜の銀座は商業の点からみると表裏のように不可分だったのである。『夜の銀座史』で引用している資料の初出の日付にこだわったのは、それだけ店の入れ替わりが激しいからである。
ちなみに、『夜の銀座史』の表紙に描かれている銀座の街並み(上)は、1933(昭和8)年12月以降の銀座1・2丁目の風景である。
手前にある「グランド銀座」が1933(昭和8)年12月1日の開業であることがわかっている(『主婦之友』1934年2月号p205)。横に広がる紅白幕は銀座の夜の風物詩だった夜店である。銀座通りの中央に伸びる線路は、いまはなき都電の線路だ。
ネオンをともした店のなかでは、女給たちが客の談笑相手になっていたはずである。なにを飲んでいたのだろうか、チップはいくらもらったのだろうか、いやな客でなければよいが......。
風景画一枚でも想像が膨らんでいく。夜の銀座の楽しみ方はいろいろあるからおもしろい。
『夜の銀座史――明治・大正・昭和を生きた女給たち』
小関孝子 著
ミネルヴァ書房
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