杉原千畝の「命のビザ」と日本酒が結ぶ、ユダヤと日本の絆
KOSHER SAKE POURS INTO JAPAN
コーシャ認証を取得した舩坂酒造の「深山菊」を手に笑顔のエドリー(中央左)と有巣(中央右) COURTESY OF BINYOMIN Y. EDERY
<「日本のシンドラー」杉原の功績で岐阜はユダヤ人観光客にとって特別な土地に、地元も「コーシャ認証」の日本酒で彼らを歓待する>
岐阜県高山市。市場の裏手にある居心地のいい酒場で、筆者は舩坂酒造店の有巣弘城社長(36)と一緒にグラスを掲げた。つがれているのは、ユダヤ教の戒律に基づく食の規定「コーシャ」の認証を得た特別な日本酒だ。
「カンパイ!」。こちらが日本語で言うと、有巣は目を丸くして、満足そうにヘブライ語で応じた。
「ルハイム!」
よき酒があれば言葉の壁も文化の壁もどこへやら。そんな光景と言えなくもないが、実はこの乾杯は、「日本のシンドラー」と呼ばれた杉原千畝の功績に由来する。
時は第2次大戦中、1940年のこと。リトアニアの日本領事館領事代理だった杉原は約6000人のユダヤ人に「命のビザ」を発行し、彼らをナチスによる虐殺から救い、ウラジオストク経由で日本に入れるよう手配した。当時の日本がドイツの同盟国で、しかも外国人に対して排他的だったことを考慮すれば、杉原の行為は素晴らしく勇気のあることだった。
地味な存在だが、杉原は第2次大戦における英雄の1人だ。2000年には杉原の故郷である岐阜県八百津町に「杉原千畝記念館」が開設され、高山市を含むゆかりの「千畝ルート」をたどるユダヤ人、特にイスラエルからの観光客にとって人気の観光スポットになっている。
以前は年3000人に満たなかったイスラエルからの訪問者数は、最近では1万人を超えている。岐阜県への外国人旅行者数も、この10年で10倍以上になった。コーシャ認証の日本酒も、各国から来るユダヤ人旅行者をもてなし、杉原の功績をたたえる取り組みの一環として生まれた。
「グローバル化の時代には共存が大事だ」と、有巣は言う。「杉原の遺産は、共存を目指す大きな物語の一部だった。それを受け継いだユダヤ人と日本人が、こうやって一緒に同じ酒を酌み交わしている」
東京と京都の間にあり、日本アルプスの麓に位置する岐阜では、温泉や山岳の素晴らしい景色と共に、八百津町の記念館や高山のコーシャ酒など、ユダヤと日本の文化の豊かな融合を体験できる。