杉原千畝の「命のビザ」と日本酒が結ぶ、ユダヤと日本の絆
KOSHER SAKE POURS INTO JAPAN
映画にもなった杉原の人生は実にドラマチックだ。人類にとって有数の暗黒の時代に、彼はユダヤ人を救うために日本政府の指示を無視して行動した。コーシャ認証の日本酒は、彼の功績を思う気持ちから生まれた。しかしユダヤ文化と日本文化の出合いは、実は500年も前から始まっていたのである。
日本におけるユダヤ人の歴史は、知られている限りで少なくとも16世紀までさかのぼる。当時、スペイン人を祖先に持つナポリのユダヤ人がポルトガル領マカオから船で長崎に着いた。彼らはキリスト教に改宗していたが、日本で再びユダヤ教の信仰を復活させた。1854年にアメリカと江戸幕府が日米和親条約を結び、それまでの鎖国政策が緩和されると、反ユダヤ感情のない日本に住み着くユダヤ人が増え、1896年にはシナゴーグ(ユダヤ教の礼拝堂)もできた。
厳しいコーシャ認証の道
先の大戦中における杉原の勇気ある行動のおかげで、日本に住むユダヤ人の数はさらに増えた。現在、日本で最も大きいユダヤ人コミュニティーは東京と神戸にあるが、ユダヤ人観光客の多くは岐阜の高山まで足を延ばす。2つの文化の混交を象徴するコーシャ認証日本酒を味わうのも、彼らの目的の1つだ。
杉原の足跡をたどりたくて岐阜まで来るユダヤ人が増えていることに有巣が気付いたのは、2017年のこと。純粋な好奇心と訪問客のニーズに応えたい思いから、彼はユダヤ人の歴史を勉強することにした。
もともと、有巣家には「おもてなし」の精神がみなぎっていた。実家は老舗旅館の本陣平野屋花兆庵。女将の栄里子はヘブライ語の市内地図を常備し、訪れる人誰もが快適に過ごせるよう心掛けていた。だから息子の有巣も、年に1万人も訪れるユダヤ人観光客に、日本文化の神髄である日本酒を心ゆくまで楽しんでほしいと考えた。
その頃、彼は日本酒の国際化に熱心な旭酒蔵(山口県)が地元のユダヤ人コミュニティーを通じて日本の主任ラビ(ユダヤ教の聖職者)ビンヨミン・エドリーに相談し、11年に日本酒「獺祭」のコーシャ認証を受けたという話を耳にした。
エドリーは戒律に厳しいユダヤ教ハバッド・ルバビッチ派の日本におけるリーダーで、日本でのコーシャ認証の権限を持つコーシャジャパンの代表取締役でもある。
ちなみに獺祭は、コーシャ認証を得た日本酒の第1号。14年には日本を公式訪問したバラク・オバマ米大統領(当時)に贈られている。翌15年に訪米した安倍晋三首相(当時)を迎えた公式晩餐会でも、このコーシャ認証の獺祭が供された。