名店「すきやばし次郎」を築き上げた小野二郎と息子・禎一の職人論
二郎氏を語る上で外せないのは、94歳を迎えてなお現役の職人として活躍している点だ。さすがに昼の営業時間にはもう出ていないそうだが、終始立ちっぱなしであることを考えれば、夜の数時間だけでも驚嘆に値する。ギネス世界記録も認める「世界最高齢の三ツ星シェフ」だ。
ところで、本書でも触れられているが、店名は当初から「すきやばし次郎」であって「すきやばし二郎」ではない。店名について著者が尋ねると、二郎氏の回答は「次郎の方が店の看板なんかに書いたとき、格好がいいでしょ」。頑固な職人像とは違った「茶目っ気」のある二郎氏の発言が、本書では随所にうかがえる。
「手に職をつけておけば大丈夫」という言葉の重み
そんな二郎氏を支えるのが、長男で、本店で二郎氏と並んで鮨を握る禎一氏だ。23歳で店に入って37年。今年で還暦を迎え、既に店の多くのことを任されるようにはなっているが、それでも、師匠と弟子という関係が変わることはなく、今の自分があるのは父親あってのことだと繰り返し述べる。
禎一氏は、もともと鮨職人になる気はなかったという。中学時代は「やんちゃ」だったそうで、あまり勉強もせず、高校卒業後はカーレーサーを目指そうと思っていたらしい。だが、二郎氏に「そんなもんで食っていけるかっ!」と一喝され断念。料理の道に進んだのだという。
息子を半ば強引に料理人にした二郎氏だが、「自分の鮨を継いでほしい」と思ってのことではなかったようだ。高校生の息子に発した言葉のとおり、食うに困らないことが大事であり、それには「手に職をつけておけば大丈夫」。この言葉には、7歳から働きに出た二郎氏ならではの重みがある。
とはいえ職人の世界は厳しい。「すきやばし次郎」のような名店ですら、新しい弟子を募集しても見つからないことがあるという。だがその一方で、職人という仕事に魅力を感じ、苦労を承知で覚悟を決めて、その世界に飛び込む人もいる。その好例が、禎一氏の2歳下の弟である隆士氏だ。
幼い頃から父の姿を見て「鮨職人になりたい」と言っていた隆士氏は、他店で修業を重ねた兄よりも早く店に入り、現在は、六本木ヒルズ店を開店以来任されている(同店は『ミシュランガイド』で二ツ星を獲得)。さらに隆士氏の2人の息子も、既に鮨職人の道を歩んでいるという。
本店を継ぐ禎一氏はと言えば、「陽のあたるところは親父さんでいい」「一人でもわかってくれたらそれでいい」と黒子に徹する姿勢を隠そうとしない。だが、いつか二郎氏がいなくなっても「すきやばし次郎の味は変わらないっていう自信もある」と語り、職人としての誇りを覗かせている。
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