ベラルーシがロシアに協力的な5つの理由──「強いソ連」に憧れる崖っぷちの独裁者
ベラルーシは18世紀にロシア帝国に組み込まれ、その後ソ連に継承されたが、それ以前の16-17世紀、この土地は当時ヨーロッパで最も大きな国の一つだったポーランド・リトアニア同君連合によって支配され、ポーランド語を強制された歴史をもつ(この点ではウクライナも同じ)。
関係が深いだけに、ポーランドやリトアニアでは「敵方」に与するルカシェンコへの反感が特に強いわけだが、ルカシェンコにとっても両国は危険な存在といえる。
「独裁者」ルカシェンコに対しては国内でも批判が高まっており、2006年には大統領選挙での不正を批判するデモが拡大して「デニム革命」と呼ばれた(参加者の多くがデニムを着用していたことに由来する)。この際、当局の弾圧を逃れたリーダーの多くはポーランドやリトアニアに渡り、この地で政治活動を続けてきた。
さらに、2020年にも抗議デモが大規模化(後述)し、これに対してEUは2021年の東方パートナーシップ会議でベラルーシの参加資格を停止したが、そこにはポーランドとリトアニアの働きかけが大きかった。
両国を拠点とする拒絶反応は結果的に、ルカシェンコがロシア頼みにならざるを得ない状況を再生産してきたといえる。
(5)崖っぷちの「独裁者」
最後に、国内の混乱によってルカシェンコは、これまで以上にロシアの顔色をうかがわなければならない状況にある。
2020年8月、ルカシェンコは大統領選挙で勝利して6選を決めた。しかし、そもそもルカシェンコが多選を禁じた憲法の改正を重ねて立候補すること自体に批判があり、そのうえ投開票の作業に不正があったと報じられた。そこにコロナ禍に由来する不満が爆発して、抗議デモが全土に拡大したのである。
その結果、数千人が逮捕され、数多くの人々が警察による拷問や暴行の被害を受けたといわれる。さらに、混乱によって多くの難民が押し寄せたポーランドでは国境封鎖を求める声も高まっている。その結果、欧米諸国はルカシェンコを「正統な大統領と認めない」ことを決定したのだ。
これがルカシェンコへの圧力になったことは疑いないが、その立場をさらに不安定にしたのが、反ルカシェンコ勢力へのロシアの支援だった。
反ルカシェンコの抗議には、自由で開かれた社会を目指す勢力だけでなく、それとは逆に排他的で人種差別的なスローガンを掲げる極右も混じっており、政治的混乱を念頭に「ヒトラーのような指導者が今こそ必要」という主張さえ飛び出している。
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