なぜ右傾化する高齢者が目につくか──「特別扱いは悪」の思想
もう一つは、現代のネトウヨを取材してきたジャーナリスト、安田浩一氏の、右傾化する高齢者に関する「かつては『見下ろす差別』が主流だったが、現在は『見上げる差別』が主流になっている」という考察だ。
つまり、右傾化する高齢者(だけではないが)に目立つのは、「在日コリアンなどが特別な扱いを受けるのは不公平だ」という認識とみてよい。
ぶれない一線とは
この二つの考察は、別々のことを言っているようでいて、ある点で近い。それは「特権階級に自分たちが虐げられている」という意識の強さだ。
この視点からすると、1968年当時に批判の対象となった政治家、巨大企業、メディアなどはもちろん特権階級だが、「特別な扱いを認められている」がゆえに少数者もまたそこに収まる。この考え方には「特別扱いは悪」という思想が鮮明だ。
右傾化する高齢者を含むこの世代は、少なくとも法的には自由な発言が認められる時代に生まれ育った一方で、多くの人がそこそこ豊かになれた「一億総中流」と呼ばれる時代を生きてきた。このような横並びが当たり前の時代感覚にさらされてきたことが、わずかな不平等にも不満を感じやすい土壌になっている(こうした思想の持ち主は、「もともとビハインドのある人のスタートラインを前にしなければフェアでない」という発想が限りなく薄く、どうかすると「ビハインドのある方が悪い」という思考になりやすいが、恐らく公共交通機関や病院の支払いで高齢者が優遇されることには何も思わないのかもしれない)。
これに加えて、社会全体で差別に厳しくなったことが、かつてエリート支配を拒絶した人々に「反権威」のスイッチを入れやすくしたとみられる。「少数者には特別な配慮をするべき」、「差別的な言動をしてはいけない」という考え方があらゆる人を拘束するようになったことは、反差別が一種の権威になったことを意味するからだ。これはフェミニストを「全体主義者」と呼ぶ欧米の極右の思考パターンと共通する。
こうして、かつての進歩的な若者が、あえて差別的な言動をする右傾化した高齢者に転身できたとするなら、そこには「あらゆる権威は辱められ、また、さらには嘲弄された」1968年との、ある種の一貫性を見出せるのである。
長い学生生活
権威に一方的に従うのを拒絶すること自体は、近代的な「精神的自立」と評してよい。ただし、それは一歩間違えれば、自分自身の判断や考えを絶対視する独善につながる。
こうして右傾化した高齢者の多くは、(他の世代より)時間的、金銭的な制約が少ないため、気に入らないネット記事を非難罵倒するコメントを長々と書き込んだり、勝手に義侠心に燃えて特定の弁護士の懲戒を求める書類を作成したり、場合によっては平日の昼間からヘイトデモに参加したりすることのハードルが低い。
それはちょうど、余裕のある大学生だからこそ大学紛争に邁進できたのと同じだ。右傾化する高齢者は、50年の時を経て、長い学生生活を謳歌しているのかもしれない。
※当記事はYahoo!ニュース 個人からの転載です。
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筆者は、国際政治学者。博士(国際関係)。1972年大阪府出身。アフリカを中心にグローバルな政治現象を幅広く研究。横浜市立大学、明治学院大学、拓殖大学、日本大学などで教鞭をとる。著書に『イスラム 敵の論理 味方の理由』(さくら舎)、『世界の独裁者 現代最凶の20人』(幻冬舎)、『21世紀の中東・アフリカ世界』(芦書房)、共著に『グローバリゼーションの危機管理論』(芦書房)、『地球型社会の危機』(芦書房)、『国家のゆくえ』(芦書房)など。他に論文多数。
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