「対アフリカ援助で中国と協力する」日本提案の損得
その一方で、これと並行して2000年代半ばから日中関係は冷却化。こうして日中は「アフリカの国際的支持」を取り合う援助競争を加速させていったのです。
援助競争のエスカレート
表は、日本のTICADと中国の中国-アフリカ協力フォーラム(FOCAC)でそれぞれ提示された主な支援の内容を示しています。ここからは特に2000年代以降、日中がアフリカにおいて「援助競争」を繰り広げてきたことがうかがえます。
それにともない、日中はアフリカでお互いにネガティブキャンペーンを展開。2014年1月、安倍首相はエチオピアなど三ヵ国を歴訪し、140億ドルの援助と貿易を約束。それに先立って谷口智彦内閣官房参与(当時)は英国BBCのインタビューに対して、「日本や英国といった国はアフリカの指導者に美しい邸宅や美しい官舎を提供することはできない」と発言。相手国政府との関係を強化するため、中国の援助には政治的有力者へのプレゼントに近いものが珍しくなく、この発言は言外に中国を批判するものとみられます。
一方、その直前に安倍首相が靖国神社を参拝していたこともあり、そのアフリカ歴訪の直後に中国の解暁岩エチオピア大使はアフリカ連合(AU)の場で、安倍首相を「アジアのトラブルメーカー」と評しました。
冷戦期、政治的に対立していた米国とソ連は、アフリカを含む開発途上地域で支持を競い、援助をそのための手段として用い、さらに相手に対する国際的信頼を損なう宣伝に余念がありませんでした。アフリカをめぐる日中の援助競争は、これを想起させるものといえます。
日中の共通点
2000年代から欧米諸国の間でも、「縄張りへの侵入者」として中国のアフリカ進出には警戒感が生まれていました。しかし、日本と中国の関係は、欧米諸国との関係より複雑なものになりがちでした。ここで重要なことは、日本の場合、立場は欧米諸国に近くとも、援助の内容や考え方は中国に近いことです。
欧米諸国の場合、特に1990年代以降、教育や医療といった社会サービスを無償で提供する援助が一般的です。そこには、経済成長より貧困対策を優先させる姿勢が顕著です。また、援助と政治改革の要求をセットにすることも珍しくありません。
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