コラム

イギリス離脱交渉の開始とEUの結束

2017年05月08日(月)16時42分

さらにFAZ紙によれば、ユンカー首相はブリュッセルに戻るとメルケル首相に電話し、イギリスが別世界にいるかのような認識を持ち、離脱が容易にうまくいくとの幻想を抱いていることを伝えたとされる。これを受けてメルケル首相は前述した連邦議会本会議での議論で、「イギリスには幻想を抱いている人もいる。しかし幻想を抱くのは時間の無駄遣いだ」と発言し、メイ首相に明確なメッセージを送ったのである。

メイ・ユンカー会談でイギリス側は離脱後の条件についての交渉を欧州委員会が非公開で行うことを求めたとされるが、EU側から見ると、協定は欧州議会で批准されなければならず、交渉経過を全く公表しないで最終結果だけを欧州議会と構成国に示すようなことは出来ない。近年のカナダやアメリカとの自由貿易協定の交渉で、交渉プロセスの不透明さを強く批判されてきた欧州委員会からすれば、さらに注目を集めるイギリス離脱交渉は欧州議会や構成国政府からしっかりと支持を取り付けながら行わなければならないものなのである。

イギリス下院選挙後の交渉の本格化

メイ首相は2020年に予定されていた下院選挙を2017年6月8日に前倒し実施することとした。5月に行われた地方議会選挙で保守党が大幅に議席を伸ばしたことが示すように、メイ首相のEU離脱路線を支える保守党は、労働党の弱さもあって、議席を伸ばすことが予想される。しかし、これまで議論してきたようにEU側の離脱交渉に臨む姿勢は極めて硬い。支持基盤を強化してもEU側が批判する自分の幻想なり思い込みを強くして交渉に臨むのであれば、交渉の行方には悲観的にならざるを得ない。

EU側では、分解のリスクとなりかねなかったオランダの3月の選挙に引き続き、5月のフランス大統領選挙も乗り越えた。9月のドイツの選挙が控えており、この選挙ではメルケル首相の続投がかかっているものの、極右やEU懐疑主義政党が政権に参画する可能性はない。EUにはハンガリーの権威主義化懸念などのリスクは残っているが、イギリス離脱交渉に限って考える場合、EU側の結束は保たれそうである。

6月の総選挙終了後、2019年3月までの時間は限られている。「ハードBrexit」はイギリスにとってもEUにとっても、両者と密接な関係を持つ日本のような域外国にとっても利益にならないはずだが、このままではその懸念も見据えながら交渉の行方を見守らざるを得ない。

プロフィール

森井裕一

東京大学大学院総合文化研究科教授。群馬県生まれ。琉球大学講師、筑波大学講師などを経て2000年に東京大学大学院総合文化研究科助教授、2007年准教授。2015年から教授。専門はドイツ政治、EUの政治、国際政治学。主著に、『現代ドイツの外交と政治』(信山社、2008年)、『ドイツの歴史を知るための50章』(編著、明石書店、2016年)『ヨーロッパの政治経済・入門』(編著、有斐閣、2012年)『地域統合とグローバル秩序-ヨーロッパと日本・アジア』(編著、信山社、2010年)など。

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