コラム

冤罪死刑を追ったドキュメンタリー映画『正義の行方』の続編を切望する理由

2024年03月19日(火)12時32分
ILLUSTRATION BY NATSUCO MOON FOR NEWSWEEK JAPAN

ILLUSTRATION BY NATSUCO MOON FOR NEWSWEEK JAPAN

<小学生女児2人が殺害され、犯人とされた久間三千年の死刑が08年に執行された飯塚事件。冤罪の疑いが濃厚なこの事件のさまざまな関係者に取材した『正義の行方』はとんでもない力作だ>

今から24年前、女児1人を殺害したとして菅家利和の無期懲役が確定した。しかしそれから9年後、有罪の決め手となったDNAのMCT118鑑定に大きな不備があることが明らかになって、菅家の刑の執行は停止された。日本の冤罪事件の代名詞的存在として知られる足利事件だ。

同じMCT118鑑定で有罪が確定した事件はもう1つある。飯塚事件だ。女児2人を殺害したとして久間三千年(くまみちとし)は、2008年10月に死刑を執行されている。菅家の刑の執行が停止される前年だ。

でもこの時期、多くのメディアはMCT118鑑定の問題点を既に指摘していた。ところが処刑された。なぜこのタイミングなのか。しかも判決確定からわずか2年余り。極めて異例の早さだ。問題視される前に処刑したのではないか。誰だってそう思いたくなる。

世界は死刑廃止の潮流にあるが、日本は今も死刑制度を存置する国だ。冤罪だけではなく、否認する被疑者を長期勾留する「人質司法」や無罪推定原則の軽視、死刑制度のブラックボックス化など、日本の刑事司法が抱える問題点は数多い。

そして飯塚事件には、日本の刑事司法や捜査権力が内包している負の要素が、ほぼ全て凝縮されている。

『正義の行方』を最初に観たのはテレビだ。何げなく観始めて、クギ付けになった。観ながらずっと、自分はとんでもない作品を観ているとの意識が体の内奥で駆動し続けていた。

とんでもない作品と感じた理由は、そのテーマだけではない。作品のポテンシャルが異様に高いのだ。主軸は事件に関わった当事者たち。多くの元警察官、DNA鑑定が専門の法医学者、再審を目指す弁護士、そして地元の西日本新聞社の記者たちだ。

それぞれに立場がある。つまり帰属する組織を背負いながら、一人一人がインタビューに答える。その言葉の余韻に躊躇や苦渋や怒りがにじむ。揺れる。きしむ。何が正義なのか分からなくなる。

再編集された映画版を観終えて改めて思うのは、言葉を引き出す木寺一孝監督の力だ。その視点(つまりカメラ)は徹底して揺れない。冷徹なのだ。だからこそ多くの正義の揺れが等身大に現れる。

プロフィール

森達也

映画監督、作家。明治大学特任教授。主な作品にオウム真理教信者のドキュメンタリー映画『A』や『FAKE』『i−新聞記者ドキュメント−』がある。著書も『A3』『死刑』など多数。

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

焦点:大混乱に陥る米国の漁業、トランプ政権が割当量

ワールド

トランプ氏、相互関税巡り交渉用意 医薬品への関税も

ワールド

米加首脳が電話会談、トランプ氏「生産的」 カーニー

ワールド

鉱物協定巡る米の要求に変化、判断は時期尚早=ゼレン
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:まだ世界が知らない 小さなSDGs
特集:まだ世界が知らない 小さなSDGs
2025年4月 1日号(3/25発売)

トランプの「逆風」をはね返す企業の努力が地球を救う

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    【クイズ】世界で最も「レアアースの埋蔵量」が多い国はどこ?
  • 2
    現地人は下層労働者、給料も7分の1以下...友好国ニジェールからも追放される中国人
  • 3
    一体なぜ、子供の遺骨に「肉を削がれた痕」が?...中国・河南省で見つかった「異常な」埋葬文化
  • 4
    なぜ「猛毒の魚」を大量に...アメリカ先住民がトゲの…
  • 5
    なぜANAは、手荷物カウンターの待ち時間を最大50分か…
  • 6
    突然の痛風、原因は「贅沢」とは無縁の生活だった...…
  • 7
    不屈のウクライナ、失ったクルスクの代わりにベルゴ…
  • 8
    アルコール依存症を克服して「人生がカラフルなこと…
  • 9
    最悪失明...目の健康を脅かす「2型糖尿病」が若い世…
  • 10
    「この巨大な線は何の影?」飛行機の窓から撮影され…
  • 1
    「一夜にして死の川に」 ザンビアで、中国所有の鉱山ダムから有毒の水が流出...惨状伝える映像
  • 2
    テスラの没落が止まらない...株価は暴落、業績も行き詰った「時代遅れ企業」の行く末は?【アニメで解説】
  • 3
    「低炭水化物ダイエット」で豆類はNG...体重が増えない「よい炭水化物」とは?
  • 4
    「テスラ離れ」止まらず...「放火」続発のなか、手放…
  • 5
    【独占】テスラ株急落で大口投資家が本誌に激白「取…
  • 6
    【クイズ】世界で最も「レアアースの埋蔵量」が多い…
  • 7
    800年前のペルーのミイラに刻まれた精緻すぎるタトゥ…
  • 8
    中国戦闘機が「ほぼ垂直に墜落」する衝撃の瞬間...大…
  • 9
    大谷登場でざわつく報道陣...山本由伸の会見で大谷翔…
  • 10
    「さようなら、テスラ...」オーナーが次々に「売り飛…
  • 1
    中国戦闘機が「ほぼ垂直に墜落」する衝撃の瞬間...大爆発する機体の「背後」に映っていたのは?
  • 2
    テスラ離れが急加速...世界中のオーナーが「見限る」ワケ
  • 3
    「テスラ時代」の崩壊...欧州でシェア壊滅、アジアでも販売不振の納得理由
  • 4
    「さようなら、テスラ...」オーナーが次々に「売り飛…
  • 5
    「一夜にして死の川に」 ザンビアで、中国所有の鉱山…
  • 6
    テスラ失墜...再販価値暴落、下取り拒否...もはやス…
  • 7
    「今まで食べた中で1番おいしいステーキ...」ドジャ…
  • 8
    市販薬が一部の「がんの転移」を防ぐ可能性【最新研…
  • 9
    テスラ販売急減の衝撃...国別に見た「最も苦戦してい…
  • 10
    テスラの没落が止まらない...株価は暴落、業績も行き…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story