ドキュメンタリー映画『教育と愛国』が記録した政治の露骨な教育介入
ILLUSTRATION BY NATSUCO MOON FOR NEWSWEEK JAPAN
<歴史の記述をきっかけに倒産に追い込まれた教科書出版社の元編集者や保守派に支持される教科書の執筆者へのインタビュー、加害の歴史を教える教師や研究する大学教授へのバッシング、無邪気にフェイクニュースを信じる政治家たち──映画のテイストはホラーでギャグ。だけど......>
2015年8月、安倍晋三首相(当時)は戦後70年談話を発表し、「あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子供たちに謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」と述べた。
いつまで謝罪しなければならないのか。何度賠償を要求されるのか。おそらくこれは、保守的な思想を持つ多くの日本人の気持ちの代弁でもあるのだろう。でも韓国や中国などかつて日本から加害されたアジアの国の多くは、決して謝罪や賠償だけを求めているわけではない。
彼らの本意は謝ってほしい、ではなく、忘れないでほしい、なのだ。
しかし日本は忘れる。被害の記憶は語り継ぐが、加害の記憶は風化する。その意味で、長く論争の対象となってきた南京虐殺や従軍慰安婦問題はまだましだ。李氏朝鮮26代高宗の妃を殺害した閔妃暗殺事件、オーストラリア兵・オランダ兵捕虜を殺害したラハ飛行場虐殺事件、市民10万人が犠牲になったマニラ市街戦での住民虐殺、中国で3000人以上を人体実験で殺害した731部隊。ほかにも日本国や日本人が関わった虐殺は数多い。でも多くの人は知らない。忘れる以前にそもそもインプットされていない。
確かに失敗や挫折の記憶はつらい。できることなら忘れたい。なかったことにしたい。でもそれでは人は成長しない。個人史と同じだ。成功体験ばかりを記憶するならば、傲慢で鼻持ちならない人格になってしまう。同じ過ちを繰り返さないために記憶する。歴史を学ぶ意義はここにある。でも特に近年、こうした負の歴史を伝えることは自虐史観として、忌避される傾向がとても強くなっている。
06年、第1次安倍政権下で教育基本法にいわゆる「愛国心条項」が加えられた。その後も政治権力は教育に介入を続け、教科書は大きく変わり続けている。例えば道徳の教科書で、「パン屋」は「和菓子屋」に変えられた。理由はよく分からない。パンは西洋発祥だからなのだろうか。
このエピソードをオープニングに置いたドキュメンタリー映画『教育と愛国』は、急激に接近する教育と政治の関係を描く。とはいえ、決してお堅い社会派映画ではない。そのテイストはホラーでありギャグでもある。ところがテーマは深刻だ。
歴史の記述をきっかけに倒産に追い込まれた教科書出版社の元編集者や保守派に支持される教科書の執筆者へのインタビュー、慰安婦問題など加害の歴史を教える教師や研究する大学教授への一方的なバッシング。無邪気にネットのフェイクニュースを信じる政治家たち。
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