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横尾忠則「呪われた」 デザイナーから画家になり、80代で年間100点の作品を生む
横尾忠則 インドのアグラで(1987年)
<グラフィック・デザインのトップランナーであった横尾忠則は、突如画家への転身をはかる。そのきっかけは、呪いのような「画家になりなさい」という啓示だった。描き続ける宿命を背負い、86歳となった今なお猛烈な勢いで創作を続ける横尾には一体何が見えているのか。本人への聞き取りをもとに、その人生をたどる後編。>
※最初の作品集は「遺作集」、横尾忠則の精神世界への扉を開いた三島由紀夫の言葉 から続く。
画家になりなさいという啓示
グラフィック・デザイナーとして大きな成功を収めていた1980年7月、横尾はニューヨーク近代美術館で観たパブロ・ピカソの個展に衝撃を受け、絵画の道を究めることを決意する。いわゆる「画家宣言」である。実際は、1960年代にも絵画を描いており、本人が宣言をしたわけでもなく、話を聞いた記者が過去の横尾の隠居宣言にかけて、そのように書いただけだが、その時のことを横尾は、「ピカソ展を見ている時に、画家になりなさいという啓示を受けたような、大きな衝動が起こった。自分の意思によるものではなく、何かわからない力によって呪われたと思った。グラフィック(・デザイン)に関してはトップを走っているという自負があったが、それを瞬時に捨ててしまうぐらい、『絵を描く』という衝動が大きかった」と言う。
この時、横尾が反応したのは、ピカソの作品というよりも、自らの本能を第一とし、それに芸術を従わせた彼の生き方である。それまではあまり意識していなかったというが、やはりクライアントの要望に応えることが前提のグラフィック・デザインの仕事から、100%自己に忠実でいられる仕事へとシフトしたい、また未知の世界で自身を試したいという思いもあったようだ(注4)。
こうして、絵画の領域へと移行した横尾は、以降、古今東西の美術史や宗教、神話など様々なテーマに果敢に取り組んでいく。1980年代半ばには、ボディー・ビルダーでパフォーマンス・アーティストのリサ・ライオンとのコラボレーションを通して、両性具有的な肉体の神々しさや自然と人間の一体化した姿等を積極的に描くことで身体性の回復を試みたり、陶板による作品制作にも挑戦したり、徐々に「何を描くか」から、「いかに描くか」という技術の問題を探求するようになっていく。
1986年に磯崎新の設計によるアトリエが完成したことで、それまで広い制作場所を求めて様々な場所で公開制作をしていた横尾は、自身のアトリエでも色々な実験が出来るようになり、ガラスや鏡、羽根など色々な物質を画面上にコラージュしたり、キャンバスの上に短冊状のキャンバスを貼り合わせたり、複数のパースペクティブによる異なる次元を共存させるといった多次元的な画面構成を試みるようになる。こうして、模写やコラージュを基本にしつつも、自身の描き方を徐々に確立していくのである。
また、この頃から、夢にでてきた滝のモチーフが繰り返し描かれるようになる。人間の原始的な信仰の世界、浄化作用や瞑想の場、あるいは想像力の源泉ともいえる滝を描きたいという思いで、世界中の滝の絵葉書を1万枚以上集め、さらにそれらを用いてインスタレーションも制作している。
1990年代に入ると、まるで万華鏡を覗いているような、より複雑な画面構成となっていく一方で、横尾は子供時代の個人的な事象や故郷の風景、少年時代に読んだ絵本や小説、観た映画から想起される洞窟や密林、地下室への階段など、極めて自伝的なソースからイメージをコラージュして独特の世界を生み出していくことになる。
「10代のうちに、ヤバイとか、エグイとか、ダサイなどという不透明で洗練もされていない要素、整理できていない感情が内在され、自分の中に蓄積されていきます。その蓄積が、20歳以降の今日に至るまでの創作活動の中に、一種のパンドラの箱が広がるように飛び出していく。絵を描くことによって吐き出されたり、創作を通して徐々に発酵していくんです。そういう意味では、10代が原点ではないかなと。10代に体験したものや、思索、経験、記憶といったものですね(注5)」
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