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世界26カ国で実施される宮島達男の「柿の木プロジェクト」――絶望から再生へ
さらに、中学生の時に死を意識し、高校の修学旅行で訪れた原爆資料館で大きなショックを受け、その時感じた人間に対する絶望感に折り合いがつけられないまま、今でも人間の魔性をどう乗り越えられるか、アートにそのような役割があるか、と問い続けているという。
1から9のカウントを生の時間、0の代わりの暗闇を死として、人間が生きて死ぬ命のサイクルや生命そのものを表す、宮島作品におけるデジタルカウンターの明滅には、戦争や自然災害も含め様々な要因で、何度も絶望が押し寄せてきても、そこから這い上がり再生へと向かうための希望と生への渇望が込められている。
2018年、完成から20年を経た直島の角屋では、「継承」をテーマに、改めて《Sea of Time '98》タイムセッティング会が行われた。20年前に参加した人の中には、亡くなったり、転居した人もおり、カウンターを近しい家族や現在の島の居住者に譲りたいという人もいたため、19名分を公募にかけることになった。すると今度は多くの応募があり、抽選会まで開かれるほどの人気であった。
20年の間の変化は、アート活動への理解だけでなく島民の多層化にも見られる。技術も同様で、20年前のような、数字の変化を眼で追いながら速さを決める身体的方法から、参加者が自分にとって重要な数字を設定速度とする観念的な方法に代わり、より記憶に残りやすくなった。そうしたこともあり、20年の時を経て作品の意味も微妙に変容しつつある。生活する人々の時間や命の輝きが寄り集まってハーモニーを生み出すだけでなく、LEDカウンターによっては、故人が生きていた証として亡くなった人たちの記憶を誘発するメモリアルな側面も持つようになった。
宮島自身が語っているように、作品が全く同じかたちで残り続けるのも継承の一つのあり方だが、「それは変化し続ける」、「それはあらゆるものと関係を結ぶ」、「それは永遠に続く」というコンセプトを考えると、変化しながらコミュニティのなかで引き継がれていくということもあり得るだろう。
こうして、離島の集落のなかで、200年以上生きてきた古い家屋が、この先も時代とともに変わりゆくものを受け入れつつ島民によって大事に生かされ続けることで、作家の込めた平和と共生への思いとともに、島の生の営みや再生の記憶と、この場所が誘発する「どう生きるのか」についての問いも、永遠のメッセージとして未来に継承されていくのである。
本稿は基本的に本人への聴き取りを基に構成。
その他参考文献:
「宮島達男クロニクル1995-2020」展図録、千葉市美術館、2020年
2020年10月10日開催講演会「四半世紀、これまでとこれから」千葉市美術館 YouTube にて2020年12月7日配信
ベネッセアートサイト直島広報誌 2019年7月号
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