コラム

規格外の現代アーティスト、杉本博司が語る「因縁」とは何か

2022年09月09日(金)17時00分

鉄道模型に夢中になるとともに、中学1年の頃には、父親の持っていたMamiya-6という中判カメラの高級機で鉄道写真や家族旅行の写真撮影を試みている。家族旅行でみた伊豆の海の風景の記憶や、世界を模型にして、それをイメージに定着させること、また、制作機材を手作りすることなど、杉本の後の代表作や制作の原点が垣間見えるが、そもそも妄想をかたちにする現代アーティストとして生きるようになったこと自体、必然だったと本人もしばしば言及している。

1960年代末の学生運動も終盤にさしかかるころ、杉本は立教大学経済学部でマルクス経済学を学ぶ。また、この頃、実存主義などの西洋思想やエンゲルスの人間の意識がどのように始まったかについての『猿が人間になるについての労働の役割』からも大きな影響を受けたという。

一方、その後編入したロサンゼルスのアートセンター・カレッジ・オブ・デザインでは、モノクロームの風景写真で知られるアンセル・アダムスを目標に写真技術を本格的に学ぶ。さらに、ベトナム戦争が泥沼化し、反戦運動とヒッピー、フラワーチルドレンといったカウンター・カルチャーの空気が残るカリフォルニアで、仏教や日本の古典、東洋哲学に触れることとなる。こうして感受性豊かな学生時代に西洋・東洋の哲学や思想を異なる文化圏で少し距離を置いて知ることとなった杉本は、その後シベリアからヨーロッパへと放浪の旅に出て、イデオロギーと現実のギャップも目撃している。

現代アーティストへ

さて、杉本が現代アートに開眼するのは、1974年にニューヨークに居を移して以降のことである。新たに台頭してきたミニマル・アートのドナルド・ジャッドやダン・フレイヴィンの作品に触れ、またこの頃に、マルセル・デュシャンの作品も体験している。

そして、まだ写真がアートと一般的に捉えられていない時代に、写真を武器にアート界に打って出ようという考えのもと生み出したのが、1976年に発表した「ジオラマ」シリーズである。

これが杉本の実質的なアーティスト活動の始まりとなる。《シロクマ》や、過酷な資本主義競争社会の頂点にあるニューヨークの様相に重なる《ハイエナ、ジャッカル、コンドル》で始まる、この8"×10"カメラにより撮影された写真シリーズは、「私の見ているこの世界が本当に実在するのかというリアリティーへの不信感(注2)」のもと、アメリカ自然史博物館の展示ジオラマを、まるで生きているかのように撮影したものだ。これが、ニューヨーク近代美術館に250ドルで買い取られる。

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杉本博司《ハイエナ、ジャッカル、コンドル》1976年©Hiroshi Sugimoto

また、同時期に映画一本の時間を長時間露光で撮影するという「劇場」シリーズに着手するのと並行して、水を撮るべく、日光・華厳の滝も撮影している。その関心が、水の流れ込む海に移り、杉本は1980年、カリブ海を撮影。これが、子供の頃にみた相模湾の記憶と古代の人々もみていたであろう風景のイメージを重ね合わせた「海景」シリーズである。こうして、明快なコンセプトと高度な技術に裏付けられた高質のモノクロ写真の代表三部作が出揃い、杉本は国際的に知られるようになる。

注2. 日本経済新聞「私の履歴書」第11回(2020年7月11日掲載)

プロフィール

三木あき子

キュレーター、ベネッセアートサイト直島インターナショナルアーティスティックディレクター。パリのパレ・ド・トーキョーのチーフ/シニア・キュレーターやヨコハマトリエンナーレのコ・ディレクターなどを歴任。90年代より、ロンドンのバービカンアートギャラリー、台北市立美術館、ソウル国立現代美術館、森美術館、横浜美術館、京都市京セラ美術館など国内外の主要美術館で、荒木経惟や村上隆、杉本博司ら日本を代表するアーティストの大規模な個展など多くの企画を手掛ける。

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