コラム

武漢の危機を悪化させる官僚主義

2020年01月29日(水)16時45分

果たして伝染病防止法によって情報公開の遅れが正当化できるのかは疑問であるが、ともあれ中央の指示を待っていた結果、対策が後手に回ったということを市長は明らかにしている。

平時においては、官僚機構が法に従うことや、上司の指示に部下が従うことはもちろん重要なことである。だが、新型肺炎の突発的流行のような危機に際しては、目の前にある手段を使って不確かな状況に対して即応的に対応する必要が生じる(東大社研・玄田有史・有田伸編『危機対応学――明日の災害に備えるために』勁草書房、2018年、第1章)。武漢市政府はトップから現場の職員に至るまで即応的対応ができず、上からの指示を待った結果、危機を深めてしまった。

共産党一党支配の権威主義体制をとる中国においては、下級の役人が上級の指示がなければ何も動かないとか、英明な最高指導者が出てくれば世の中がよくなるといった観念が広まるのは無理がない側面がある。常日頃、中国に対する批判的な言論を展開している某評論家が、習近平が陣頭指揮をとっていないから新型肺炎対策は絶望的だ、なんて書いているのも、いわば裏返しの指導者待望論であろう。

現場は常識と良心に従え

だが、武漢からの万喆氏の声が明らかにしていることは、いま必要とされているのは、下からの問い合わせに即座に適切な指示を下すスーパーマンのような指導者ではなく、現場の担当者が自分の常識と良心に従って即応的な対応をすることである。李克強首相が武漢に赴いたが、彼がすべきことは、24時間働き続けて指示を出し続けることではなく、現場の担当者たちを激励するとともに、「自分の判断で行動してほしい、責任は俺が持つ」と言い切ることである。

中国の地方政府はどこも武漢市のようなコチコチの官僚主義なのかというと、そんなことはないと思う。もともと1970年代末からの中国の改革といわれることの多くは、最初は地方の暴走から始まった。地方で勝手に農地を個々の農家に分配してしまったり、国有企業を従業員に売ってしまったりしても、結果さえ良ければ、中央は後から叱るのではなくて逆にほめてくれた。必ずしもいい意味では使われないが、中国で人口に膾炙している「上に政策あれば、下に対策あり」ということわざも地方の主体性が強かったことを示している。

でも今回の武漢市の危機に対する硬直的な対応はそうした主体性の気風が今や失われてしまっていることを暗示している。習近平は法によって国を治めることを強調する。それはかつて「人治」がはびこっていたことに対し、権力の行使は必ず法律の根拠を持たなければならないことを強調する意味はあった。だが、武漢市市長のように不作為の言い訳として法律を持ち出す人が出てくるに至ると、法治の強調もいささか行き過ぎではなかったかと思われる。

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プロフィール

丸川知雄

1964年生まれ。1987年東京大学経済学部経済学科卒業。2001年までアジア経済研究所で研究員。この間、1991~93年には中国社会学院工業経済研究所客員研究員として中国に駐在。2001年東京大学社会科学研究所助教授、2007年から教授。『現代中国経済』『チャイニーズ・ドリーム: 大衆資本主義が世界を変える』『現代中国の産業』など著書多数

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