- HOME
- コラム
- 欧州インサイドReport
- ロシア反政府活動家ナワリヌイ氏「獄死」...大統領…
ロシア反政府活動家ナワリヌイ氏「獄死」...大統領選を前にプーチンは怯えている 「これは強さではなく弱さ」
繰り返されてきた「邪魔者は殺せ」の歴史
調査報道ジャーナリストで政治家のナワリヌイ氏は反プーチンの急先鋒として活動した。11年に設立した反腐敗財団はロシア政治エリートの保有資産を明らかにする動画を数十本作成し、ユーチューブで何百万回も再生された。これまでプーチンを批判した反体制派の活動家やジャーナリスト、実業家、元ロシアの情報機関員はことごとく暗殺されている。
1998年10月、FSB長官だったプーチンはアルファ部隊とヴィンペル部隊を1つにした特務センターを設立。
2002年3月、チェチェン独立派の指揮官アミール・ハッターブを神経剤が塗られた手紙で毒殺。FSBの犯行とされる。
03年7月、ロシア政府の腐敗と組織犯罪を批判していた調査報道ジャーナリスト、ユーリ・シェコチーヒン氏が不審死を遂げる。
04年2月、チェチェン独立派の最高指導者ゼリムハン・ヤンダルビエフをドーハで爆殺。カタール当局は3人を逮捕。このうちロシア大使館員1人は外交特権で釈放され、GRUの工作員2人が起訴される。
04年9月、ウクライナのヴィクトル・ユシチェンコ大統領候補に猛毒のダイオキシンが盛られる。美男子のユシチェンコ氏はアバタだらけの顔に。
05年3月、FSB特殊部隊がチェチェン独立派の最高指導者アスラン・マスハドフを殺害。
06年6月、FSBがチェチェン独立派の最高指導者アブドゥル=ハリーム・サドゥラエフを殺害。
06年10月、第二次チェチェン戦争を報道したロシア人女性ジャーナリストのアンナ・ポリトコフスカヤさんがモスクワの自宅アパートのエレベーター内で射殺される。04年9月のベスラン学校占拠事件の現場に向かう際も機内で毒を盛られ、意識を失う。
06年11月、元FSB幹部のアレクサンドル・リトビネンコ氏が放射性物質ポロニウム210で毒殺される。英政府はKGB元職員のロシア人実行犯2人の引き渡しを求めるもプーチンは応じず。英公聴会の報告書は「おそらくプーチンやニコライ・パトルシェフFSB長官(当時)は承認していた」と結論付ける。
08年9月、ウィーンでカザフスタン国家保安委員会(秘密警察)元議長アルヌール・ムサエフ氏がロシア語を話す4人組に誘拐されそうになる。
09年1月、チェチェン共和国首長ラムザン・カディロフのボディガード、ウマル・イスライロフがウィーンで暗殺される。
09年3月、ドバイで元GRU特殊任務部隊司令官スリム・ヤマダエフが射殺される。
12年11月、ロシアの内部告発者アレクサンドル・ペレピリチニー氏がロンドンでジョギング中に不審死。米英の情報機関は暗殺とみているとバズフィードがスクープ。
15年2月、反政府運動を展開していたボリス・ネムツォフ元ロシア第一副首相がモスクワで射殺される。
15年5月と17年2月、ロシア野党政治家ウラジーミル・カラ=ムルザ氏が2度にわたって毒を盛られる。カラ=ムルザ氏は23年4月、国家反逆罪などで禁固25年の刑を受ける。
18年3月、英イングランド南西部ソールズベリーで元二重スパイのセルゲイ・スクリパリ氏と娘ユリアさんをノビチョクで毒殺未遂。警官と市民計3人が巻き添えになり、うち女性1人が死亡。
18年9月、ロシアのフェミニスト・パンク・ロック集団プッシー・ライオットの非公式報道担当者ピョートル・ヴェルジロフ氏がモスクワで毒を盛られる。
20年8月、 空路モスクワに向かうナワリヌイ氏がノビチョクを盛られる。
23年8月、反乱を起こした「プーチンの料理番」こと露民間軍事会社ワグネルグループ創設者エフゲニー・プリゴジンを乗せた民間航空機が墜落。乗客7人乗員3人が全員死亡。
前出のガレオッティ氏は「誰でも殺せるのは強さではない。彼はプリゴジンを、今度は獄中のナワリヌイ氏を殺さなければならないほど恐れていた。これは強さではなく弱さだ。全体主義への道であるだけでなく、老いたプーチンが、彼が見せかけたいほど自信を持っていないという兆候でもある」と指摘している。
2024年11月26日号(11月19日発売)は「超解説 トランプ2.0」特集。電光石火の閣僚人事で世界に先制パンチ。第2次トランプ政権で次に起きること。[PLUS]驚きの閣僚リスト/分野別米投資ガイド
※バックナンバーが読み放題となる定期購読はこちら