コラム

トランプ米大統領を誕生させた「生きさせろ」という脱工業化の呪い

2016年11月10日(木)15時08分

ニューハンプシャーの工場で演説するトランプ Brian Snyder-REUTERS

<トランプの逆転勝利は、反グローバル化、反エスタブリッシュメントという意味ではブレグジットと同じ構図。職を奪われ人生を奪われた白人労働者の生存戦略だった。トランプには、真に彼らを救う政策を望む>

 米大統領選で共和党のドナルド・トランプ候補(70)が予想外の大勝利を収めた9日、ロンドンにあるシンクタンク、国際戦略研究所(IISS)では「トランプ大統領」誕生についてまるでお通夜のような討論会が開かれていた。6月の国民投票で英国が欧州連合(EU)離脱を選択した再現フィルムを見るような展開だった。

 米国の外交と内政を担当するIISSのダナ・アリン氏が「戦後、自由主義の価値を認めない米国の大統領が初めて誕生する」と沈痛な表情を浮かべた。英国のEU離脱決定、米大統領選でのトランプ勝利に続いて、来年4~5月のフランス大統領選で極右政党・国民戦線のマリーヌ・ルペン党首が勝てば、欧米の自由民主主義は終止符を打つともアリン氏は言った。

 反グローバリゼーション、反エスタブリッシュメント(支配層)のドミノ倒しが続く。米国と英国が世界の国内総生産(GDP)に占める割合はそれぞれ25%と3.5%。世界の軍事費に占める割合は36%と3.3%だ。

【参考記事】トランプに熱狂する白人労働階級「ヒルビリー」の真実

 英国のEU離脱はともかく、トランプ大統領がこれまでの発言通り、環太平洋経済連携協定(TPP)や環大西洋貿易投資協定(TTIP)交渉、北米自由貿易協定(NAFTA)を破棄したら、すでに曲がり角を迎えている世界経済はさらに減速するだろう。

死に急ぐ白人男性

「すべての米国人のために働く」「これまで忘れられていた国民をないがしろにするようなことはしない」とトランプは勝利演説で誓った。「スラム化した都市を整備し、インフラを整備する。何百万人という労働力を投入する」「経済成長率を2倍にして、世界最強の経済をつくる」

 英国のEU国民投票でも離脱派がキャメロン首相やEUをエスタブリッシュメントの象徴に仕立て上げ、自分たちは「忘れ去られた庶民の味方」という構図を作り出してから形勢は一気に逆転した。トランプ勝利の原動力は、グローバリゼーションで製造業の生産拠点が海外に移転し、仕事を失ったホワイト・ワーキングクラスだった。

【参考記事】EU離脱派勝利が示す国民投票の怖さとキャメロンの罪

 昨年、ノーベル経済学賞に選ばれたプリンストン大学のアンガス・ディートン教授らの調査で、高等教育を受けていない米国の白人45~54歳の死亡率が1999年から2014年にかけ10万人当たりで134人も増えていることが分かった。原因は心臓疾患や糖尿病ではなく、自殺のまん延、薬物乱用、アルコールによる肝臓疾患、ヘロインの過剰使用、中枢神経抑制剤の処方が原因だった。

【参考記事】トランプ現象の背後に白人の絶望──死亡率上昇の深い闇

 同じカテゴリーで他の先進国や米国ヒスパニック系の死亡率は年々、減少しているのに、米国の中年白人だけが上昇していた。つまり高等教育を受けていない米国の中年白人が先進国の中で、最も悲惨な人生を送っているということだ。民主党のヒラリー・クリントン候補(69)は敗戦の弁で「今後長らく痛みは続くでしょう」と涙を流したが、ヒラリーにはトランプに1票を投じた中年白人の悲哀は永遠に分からないだろう。彼女は紛れもないエスタブリッシュメントの一員だからだ。

【参考記事】【経済政策】労働者の本当の味方はクリントンかトランプか

プロフィール

木村正人

在ロンドン国際ジャーナリスト
元産経新聞ロンドン支局長。憲法改正(元慶応大学法科大学院非常勤講師)や国際政治、安全保障、欧州経済に詳しい。産経新聞大阪社会部・神戸支局で16年間、事件記者をした後、政治部・外信部のデスクも経験。2002~03年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に『欧州 絶望の現場を歩く―広がるBrexitの衝撃』(ウェッジ)、『EU崩壊』『見えない世界戦争「サイバー戦」最新報告』(いずれも新潮新書)。
masakimu50@gmail.com
twitter.com/masakimu41

あわせて読みたい
ニュース速報

ビジネス

東京ガス、米シェブロンとシェールガス共同開発 テキ

ワールド

中国軍、台湾周辺で軍事演習開始 頼総統を「寄生虫」

ワールド

トランプ氏、CHIPS法監督と投資促進へ新組織 大

ビジネス

新理事に中村調査統計局長が昇格、政策の企画立案を担
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:引きこもるアメリカ
特集:引きこもるアメリカ
2025年4月 8日号(4/ 1発売)

トランプ外交で見捨てられ、ロシアの攻撃リスクにさらされるヨーロッパは日本にとって他人事なのか?

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる唯一の方法
  • 2
    ガムから有害物質が体内に取り込まれている...研究者が警鐘【最新研究】
  • 3
    【クイズ】世界で最も「レアアースの埋蔵量」が多い国はどこ?
  • 4
    ロシア空軍基地へのドローン攻撃で、ウクライナが「…
  • 5
    自らの醜悪さを晒すだけ...ジブリ風AIイラストに「大…
  • 6
    磯遊びでは「注意が必要」...6歳の少年が「思わぬ生…
  • 7
    3500年前の粘土板の「くさび形文字」を解読...「意外…
  • 8
    8日の予定が286日間に...「長すぎた宇宙旅行」から2…
  • 9
    メーガン妃のパスタ料理が賛否両論...「イタリアのお…
  • 10
    なぜ「猛毒の魚」を大量に...アメリカ先住民がトゲの…
  • 1
    テスラの没落が止まらない...株価は暴落、業績も行き詰った「時代遅れ企業」の行く末は?【アニメで解説】
  • 2
    【クイズ】世界で最も「レアアースの埋蔵量」が多い国はどこ?
  • 3
    「一夜にして死の川に」 ザンビアで、中国所有の鉱山ダムから有毒の水が流出...惨状伝える映像
  • 4
    【独占】テスラ株急落で大口投資家が本誌に激白「取…
  • 5
    800年前のペルーのミイラに刻まれた精緻すぎるタトゥ…
  • 6
    ロシア空軍基地へのドローン攻撃で、ウクライナが「…
  • 7
    ガムから有害物質が体内に取り込まれている...研究者…
  • 8
    一体なぜ、子供の遺骨に「肉を削がれた痕」が?...中…
  • 9
    「この巨大な線は何の影?」飛行機の窓から撮影され…
  • 10
    現地人は下層労働者、給料も7分の1以下...友好国ニジ…
  • 1
    中国戦闘機が「ほぼ垂直に墜落」する衝撃の瞬間...大爆発する機体の「背後」に映っていたのは?
  • 2
    「テスラ時代」の崩壊...欧州でシェア壊滅、アジアでも販売不振の納得理由
  • 3
    「さようなら、テスラ...」オーナーが次々に「売り飛ばす」理由とは?
  • 4
    「一夜にして死の川に」 ザンビアで、中国所有の鉱山…
  • 5
    テスラ失墜...再販価値暴落、下取り拒否...もはやス…
  • 6
    「今まで食べた中で1番おいしいステーキ...」ドジャ…
  • 7
    市販薬が一部の「がんの転移」を防ぐ可能性【最新研…
  • 8
    テスラ販売急減の衝撃...国別に見た「最も苦戦してい…
  • 9
    テスラの没落が止まらない...株価は暴落、業績も行き…
  • 10
    【クイズ】アメリカを貿易赤字にしている国...1位は…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story