コラム

タイム誌「今年の人」に選ばれたメルケル独首相の挑戦

2015年12月17日(木)17時00分

ギリシャ危機や難民危機での指導的な役割が評価された Philippe Wojazer-REUTERS

 米誌タイムと英紙フィナンシャル・タイムズが年末恒例の「パーソン・オブ・ザ・イヤー(今年の人)」に相次いでドイツの首相アンゲラ・メルケルを選んだ。欧州債務危機と難民危機という未曾有の2大危機に対する取り組みと志が評価された。

「欧州の女帝」と評されるメルケルだが、日本流に「メルケル」といえば、これまで「何もしない。意見も言わない」という皮肉だった。それがシリアやアフガニスタンから大量の難民が欧州に押し寄せた危機で「ドイツは難民を歓迎する」と大見得を切り、一気に株を上げた。

 旧東ドイツで育ったメルケルの最大の特徴は、その慎重さにある。ベルリンの壁建設とプラハの春を目の当たりにした彼女は理想を胸の奥底にしまうことを覚えた。共産主義体制下で「自由」という理想を語ることは破滅を意味する。ベルリンの壁が崩壊した際も、メルケルはいつも通りサウナに行き、そのあと群衆に交じって西ベルリンを訪れた。

 理想はそのときが来ないと実現しない。それまではじっと我慢して現実に合わせるしかない。そんな人生哲学がメルケルには染み付いている。だから何を考えているのか、分かりにくい。欧州債務危機でもギリシャなど重債務国に厳しいドイツの国内世論に目配せするメルケルの本心を、欧州連合(EU)の政治指導者も市場も最後の最後まで見通せなかった。

 今年7月に合意されたギリシャ第3次救済策ではギリシャのユーロ圏離脱という最悪シナリオを多くの人が覚悟した。しかしフタを開けてみれば、メルケルには欧州統合プロジェクトの象徴であるユーロを壊すつもりは微塵もなかったのだ。債務危機で口癖のように繰り返してきた「もしユーロが失敗すれば欧州も失敗する」という理想は本心から出たものだった。

ナチスの教訓からシリア難民受け入れへ

 東西ドイツ統一を成し遂げた育ての親ヘルムート・コールに闇献金疑惑が発覚するといち早く糾弾し、キリスト教民主同盟(CDU)党首として初めて臨んだ2005年の総選挙では危ういところで敗北を免れた。メルケルは政治家として機が熟するのを待つことと、有権者を無視して独善に陥らないことを学んだ。

 難民問題ではメルケルは当初、家族の難民申請が却下されたらレバノンの難民キャンプに強制送還されるというパレスチナ出身の14歳の女の子から直訴された際、「みんなにドイツに来て下さいと言うことはできない」とつれなかった。少女はTVクルーの前で泣き崩れた。メルケルにとって、これが現実的な答えだった。

プロフィール

木村正人

在ロンドン国際ジャーナリスト
元産経新聞ロンドン支局長。憲法改正(元慶応大学法科大学院非常勤講師)や国際政治、安全保障、欧州経済に詳しい。産経新聞大阪社会部・神戸支局で16年間、事件記者をした後、政治部・外信部のデスクも経験。2002~03年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に『欧州 絶望の現場を歩く―広がるBrexitの衝撃』(ウェッジ)、『EU崩壊』『見えない世界戦争「サイバー戦」最新報告』(いずれも新潮新書)。
masakimu50@gmail.com
twitter.com/masakimu41

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

焦点:大混乱に陥る米国の漁業、トランプ政権が割当量

ワールド

トランプ氏、相互関税巡り交渉用意 医薬品への関税も

ワールド

米加首脳が電話会談、トランプ氏「生産的」 カーニー

ワールド

鉱物協定巡る米の要求に変化、判断は時期尚早=ゼレン
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:まだ世界が知らない 小さなSDGs
特集:まだ世界が知らない 小さなSDGs
2025年4月 1日号(3/25発売)

トランプの「逆風」をはね返す企業の努力が地球を救う

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    【クイズ】世界で最も「レアアースの埋蔵量」が多い国はどこ?
  • 2
    現地人は下層労働者、給料も7分の1以下...友好国ニジェールからも追放される中国人
  • 3
    一体なぜ、子供の遺骨に「肉を削がれた痕」が?...中国・河南省で見つかった「異常な」埋葬文化
  • 4
    なぜ「猛毒の魚」を大量に...アメリカ先住民がトゲの…
  • 5
    なぜANAは、手荷物カウンターの待ち時間を最大50分か…
  • 6
    突然の痛風、原因は「贅沢」とは無縁の生活だった...…
  • 7
    不屈のウクライナ、失ったクルスクの代わりにベルゴ…
  • 8
    アルコール依存症を克服して「人生がカラフルなこと…
  • 9
    最悪失明...目の健康を脅かす「2型糖尿病」が若い世…
  • 10
    「この巨大な線は何の影?」飛行機の窓から撮影され…
  • 1
    「一夜にして死の川に」 ザンビアで、中国所有の鉱山ダムから有毒の水が流出...惨状伝える映像
  • 2
    テスラの没落が止まらない...株価は暴落、業績も行き詰った「時代遅れ企業」の行く末は?【アニメで解説】
  • 3
    「低炭水化物ダイエット」で豆類はNG...体重が増えない「よい炭水化物」とは?
  • 4
    「テスラ離れ」止まらず...「放火」続発のなか、手放…
  • 5
    【独占】テスラ株急落で大口投資家が本誌に激白「取…
  • 6
    【クイズ】世界で最も「レアアースの埋蔵量」が多い…
  • 7
    800年前のペルーのミイラに刻まれた精緻すぎるタトゥ…
  • 8
    中国戦闘機が「ほぼ垂直に墜落」する衝撃の瞬間...大…
  • 9
    大谷登場でざわつく報道陣...山本由伸の会見で大谷翔…
  • 10
    「さようなら、テスラ...」オーナーが次々に「売り飛…
  • 1
    中国戦闘機が「ほぼ垂直に墜落」する衝撃の瞬間...大爆発する機体の「背後」に映っていたのは?
  • 2
    テスラ離れが急加速...世界中のオーナーが「見限る」ワケ
  • 3
    「テスラ時代」の崩壊...欧州でシェア壊滅、アジアでも販売不振の納得理由
  • 4
    「さようなら、テスラ...」オーナーが次々に「売り飛…
  • 5
    「一夜にして死の川に」 ザンビアで、中国所有の鉱山…
  • 6
    テスラ失墜...再販価値暴落、下取り拒否...もはやス…
  • 7
    「今まで食べた中で1番おいしいステーキ...」ドジャ…
  • 8
    市販薬が一部の「がんの転移」を防ぐ可能性【最新研…
  • 9
    テスラ販売急減の衝撃...国別に見た「最も苦戦してい…
  • 10
    テスラの没落が止まらない...株価は暴落、業績も行き…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story