コラム

大聖堂崩落が告げる「欧州の終焉」......しかし西欧的価値観の輝きは永遠に

2019年05月17日(金)17時45分

ノートルダム大聖堂の火災は「ヨーロッパの終焉」を告げる事件なのか Gonzalo Fuentes-REUTERS

<大聖堂崩落と欧州議会の極右化で「西洋の没落」は確定か――それでも人間中心主義と民主主義は死なず>

4月15日、フランスの首都パリのノートルダム大聖堂の火事は衝撃だった。明治以来、西欧の生活水準に憧れ、諸制度と価値観を学習してきた日本人の1人として、自分の内部で何かが焼け落ちていく痛みを感じた。

これは1918年にドイツの哲学者オズワルト・シュペングラーが著書『西洋の没落』で問うて以来、語られてきた「ヨーロッパの終焉」を本格的に告げる事件なのだろうか。

17世紀から西欧が育んだ、単一の民族と言語を建前とする国民国家、議会制民主主義など近代の諸制度は賞味期限を迎えているようだ。第二次大戦後の安全保障と経済繁栄のメカニズム(NATOとEU)も同じだ。

単一民族性の強かった北欧諸国にさえ、中東からの移民が急増。国籍取得後も就職難に悩む移民は、子弟にも十分な教育を施せず、地元社会に同化できない。人間を中心に据える合理主義や個人主義といった西欧的価値観は、個人より神や縁故関係を前面に出す中東系諸民族から挑戦を受けている。

欧州諸国は国民国家から多民族国家へと変質しつつあるのだ。しかも、多くの西欧諸国で大学入学希望者には必修であったギリシャ・ローマ古典の地位が低下。キリスト教会へ行く者も減少するなど、ヨーロッパ人としてのアイデンティティーが希薄化しつつある。

ポピュリズムによる腐食

繁栄の中心がアメリカ、次いでアジアに移り、EU経済は停滞した。政府・与党を全ての悪の根源と見なし、移民やEUを目の敵とする極右諸政党や扇動政治家を支持するヨーロッパ市民は少なくない。ポピュリズムの波は欧州諸国の民主主義と統治能力を腐食させつつある。

戦後ヨーロッパの安全保障の柱はNATOだったが、ソ連崩壊で存在意義が低下した。東欧・バルト諸国にとって脅威のロシアは、西欧諸国にとって合従連衡の相手にすぎない。

EUも求心力を失った。イギリスのEU離脱だけではない。EUの扇の要とも言うべき独仏間にすら、かつてのような「両国の対立が再び世界大戦の引き金を引いてはならない」という切迫感が抜け落ちている。EUと単一通貨ユーロは統一ドイツを封じ込めておくためのものだったが、むしろドイツ産業に格好の輸出市場を提供し、ドイツの独り勝ちをもたらしている。

とはいえドイツは戦前のような領土拡張を必要とせず、平和主義の傾向が強い。製造業に軸足を置いたドイツの経済は、金融と人工知能(AI)の応用面での弱さを露呈する。ドイツも、欧州で覇を唱える力はないのだ。

戦後の枠組み、国民国家内部のガバナンス、経済モデル、価値観と、多くのものが液状化しつつある。15世紀以来の海外征服、そして産業革命で莫大な資本を蓄積してきたヨーロッパは、5世紀の西ローマ帝国のように崩壊することはないだろうが。

プロフィール

河東哲夫

(かわとう・あきお)外交アナリスト。
外交官としてロシア公使、ウズベキスタン大使などを歴任。メールマガジン『文明の万華鏡』を主宰。著書に『米・中・ロシア 虚像に怯えるな』(草思社)など。最新刊は『日本がウクライナになる日』(CCCメディアハウス)  <筆者の過去記事一覧はこちら

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

尹大統領の逮捕状発付、韓国地裁 本格捜査へ

ワールド

アングル:フィリピンの「ごみゼロ」宣言、達成は非正

ワールド

イスラエル政府、ガザ停戦合意を正式承認 19日発効

ビジネス

米国株式市場=反発、トランプ氏就任控え 半導体株が
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:トランプ新政権ガイド
特集:トランプ新政権ガイド
2025年1月21日号(1/15発売)

1月20日の就任式を目前に「爆弾」を連続投下。トランプ新政権の外交・内政と日本経済への影響は?

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「拷問に近いことも...」獲得賞金は10億円、最も稼いでいるプロゲーマーが語る「eスポーツのリアル」
  • 2
    【クイズ】世界で1番マイクロプラスチックを「食べている」のは、どの地域に住む人?
  • 3
    「搭乗券を見せてください」飛行機に侵入した「まさかの密航者」をCAが撮影...追い出すまでの攻防にSNS爆笑
  • 4
    感染症に強い食事法とは?...食物繊維と腸の関係が明…
  • 5
    女性クリエイター「1日に100人と寝る」チャレンジが…
  • 6
    【クイズ】次のうち、和製英語「ではない」のはどれ…
  • 7
    フランス、ドイツ、韓国、イギリス......世界の政治…
  • 8
    失礼すぎる!「1人ディズニー」を楽しむ男性に、女性…
  • 9
    オレンジの閃光が夜空一面を照らす瞬間...ロシア西部…
  • 10
    本当に残念...『イカゲーム』シーズン2に「出てこな…
  • 1
    ティーバッグから有害物質が放出されている...研究者が警告【最新研究】
  • 2
    体の筋肉量が落ちにくくなる3つの条件は?...和田秀樹医師に聞く「老けない」最強の食事法
  • 3
    睡眠時間60分の差で、脳の老化速度は2倍! カギは「最初の90分」...快眠の「7つのコツ」とは?
  • 4
    「拷問に近いことも...」獲得賞金は10億円、最も稼い…
  • 5
    メーガン妃のNetflix新番組「ウィズ・ラブ、メーガン…
  • 6
    轟音に次ぐ轟音...ロシア国内の化学工場を夜間に襲う…
  • 7
    【クイズ】世界で1番マイクロプラスチックを「食べて…
  • 8
    北朝鮮兵が「下品なビデオ」を見ている...ロシア軍参…
  • 9
    ドラマ「海に眠るダイヤモンド」で再注目...軍艦島の…
  • 10
    【クイズ】次のうち、和製英語「ではない」のはどれ…
  • 1
    ティーバッグから有害物質が放出されている...研究者が警告【最新研究】
  • 2
    大腸がんの原因になる食品とは?...がん治療に革命をもたらす可能性も【最新研究】
  • 3
    体の筋肉量が落ちにくくなる3つの条件は?...和田秀樹医師に聞く「老けない」最強の食事法
  • 4
    夜空を切り裂いた「爆発の閃光」...「ロシア北方艦隊…
  • 5
    インスタント食品が招く「静かな健康危機」...研究が…
  • 6
    TBS日曜劇場が描かなかった坑夫生活...東京ドーム1.3…
  • 7
    「涙止まらん...」トリミングの結果、何の動物か分か…
  • 8
    膝が痛くても足腰が弱くても、一生ぐんぐん歩けるよ…
  • 9
    「戦死証明書」を渡され...ロシアで戦死した北朝鮮兵…
  • 10
    「腹の底から笑った!」ママの「アダルト」なクリス…
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story