コラム

パレスチナ問題の特殊性 中東全体の危機へと広がり得る理由

2019年04月25日(木)11時35分

2011年にエジプトで「アラブの春」が起こってムバラク体制が倒れた時、若者リーダーの1人が、イスラエルのガザ攻撃(08年末~09年1月)の際、ガザとエジプトの間の地下トンネルを通ってガザに入り、救援物資を運んでいたという話をした。その若者はエジプトに戻ったところをエジプトの警察に逮捕されて拘束されたが、その後「アラブの春」でリーダーの1人となったのだ。

エジプトの「アラブの春」のスローガンに「自由」と「公正」と並んで「カラマ(名誉)」というものがあったが、これはパレスチナ問題との関わりを示す言葉である。若者たちはイスラエルと対決するパレスチナ人を見殺しにしたことを「恥、不名誉」と捉えていたのである。

パレスチナ人がイスラエルを相手に救いのない戦いを続け、死傷者を出し続けることは、アラブ・イスラム世界で民衆の間に政治への不信感を蔓延させ、反政権や反欧米を掲げる過激派が若者たちの間に浸透してくる心理的な土壌をつくると言えるだろう。

ネットで広がる「#関係正常化は裏切りだ」キャンペーン

半世紀の間、10年ごとに中東危機が繰り返されていることから、単純に考えれば、次の危機は2020年前後となる。17年12月にトランプ大統領がエルサレムをイスラエルの首都と認定し、18年5月に米大使館をエルサレムに移転する動きの中で始まった現在のパレスチナ危機は、次の中東危機の前触れとなるだろうか。

言論の自由がなく、メディアが権力によって抑えられている中東では、イラン革命から「アラブの春」に至るまで、体制の危機は常に突然やってくる。

パレスチナ危機が進む一方で、それとは無関係のようにイスラエルとサウジアラビアが主導する湾岸アラブ諸国との関係正常化の動きが水面下で進んでいる。それが表に出たのが、2月中旬にあったワルシャワ中東会議である。それに対して、ツイッターやフェイスブック上では、アラブ諸国とイスラエルの関係正常化の動きに抗議する「#関係正常化は裏切りだ」というキャンペーンが始まった。

パレスチナの政治組織や市民組織、パレスチナを支援するアラブ世界の組織のホームページでも、キャンペーンに賛同するメッセージを上げるなどの動きが広がった。ロンドンを拠点とするアラビア語紙「クドス・アラビ―」には、「ワルシャワ会議で隠されていたものが暴かれた後、ガザから『関係正常化は裏切りだ』というキャンペーンが始まった」という記事が掲載された。

「キャンペーンはガザのパレスチナ難民帰還委員会から始まったが、アラブ諸国や世界中の多くの活動家が参加して、イスラエルとの関係正常化に反対するために、コメント、写真、絵画など様々な形式で民衆の怒りを表明している」

キャンペーンに参加しているパレスチナのある女性組織のホームページでは、「関係正常化は裏切りだ」というサインを掲げ、「もし、ネタニヤフがアラブの指導者の友人になって、同じテーブルを囲み、パンを取り分けるならば、そのパンはパレスチナ人の血に染まっている。イスラエルがアラブ民衆の敵であるという事実は何も変わらない」としている。

「アラブの春」は、フェイスブックやツイッターでデモを呼びかける情報が広がり、「フェイスブック革命」とも呼ばれた。その後、アラブ諸国の政府はSNSへの情報監視と統制を強め、政府の意向に反するSNSの情報は即座に排除する対応が出来上がっている。その中で「#関係正常化は裏切りだ」というキャンペーンが出てきたことには、アラブ世界でうごめく民衆のわだかまりを垣間見ることができる。

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プロフィール

川上泰徳

中東ジャーナリスト。フリーランスとして中東を拠点に活動。1956年生まれ。元朝日新聞記者。大阪外国語大学アラビア語科卒。特派員としてカイロ、エルサレム、バグダッドに駐在。中東報道でボーン・上田記念国際記者賞受賞。著書に『中東の現場を歩く』(合同出版)、『イラク零年』(朝日新聞)、『イスラムを生きる人びと』(岩波書店)、共著『ジャーナリストはなぜ「戦場」へ行くのか』(集英社新書)、『「イスラム国」はテロの元凶ではない』(集英社新書)。最新刊は『シャティーラの記憶――パレスチナ難民キャンプの70年』
ツイッターは @kawakami_yasu

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