コラム

ノーベル平和賞のチュニジアだけが民主化に「成功」した理由

2015年10月15日(木)16時40分

 2012年の年末、私はチュニジア革命発祥の地となったシディブジドを訪ねた。その2年前に市場で野菜を売っていた失業青年が女性警官に暴言を吐かれたことから焼身自殺し、それが全国的な反政府デモの引き金となった。革命発祥の街では、「サラフィー主義」と呼ばれる、あごひげを伸ばしたイスラム厳格派の集団が市場を自主的にパトロールし、病院などの公共施設の警備をする一方、アルコールを出すホテルが「反イスラム」として襲撃されて、アルコールの瓶がすべて割られるなど、まるでイスラム厳格派が支配するような状態になっていた。

 サラフィーの台頭は革命後のエジプトでもあった。同胞団系政党に続いて25%をとり第2党となったのは、サラフィー主義のヌール党だった。チュニジアでは革命後の選挙にサラフィー政党は参加しておらず、アンナハダが唯一のイスラム政党だった。2011年の選挙では、世俗主義に反発する「イスラム票」はアンナハダに投じられた。

 しかし、革命前に20%台後半だった若者層の失業は、アンナハダ主導の政権のもとで30%を上回り、いっこうに改善しなかった。イスラム穏健派への失望、反発が広がり、シディブジドで見られたような徹底したイスラムの実施を求める厳格派が各地で広がった。南部の山岳地帯では、アルカイダや「イスラム国」とも近いイスラム厳格主義の過激派「アンサール・シャリーア(イスラム法の信奉者たち)」に対する治安部隊の掃討作戦も始まった。

過激派という共通の敵があったから始まった「対話」

 2013年夏までに二人の野党系政治指導者が暗殺され、世俗派支持者とアンナハダとの対立が深まった。暗殺はアンサール・シャリーアの犯行が疑われたが、アンナハダが主導する政権に対して過激派対策が甘いと批判が強まった。そのころ、エジプトでは若者たちがムスリム同胞団出身のムルシ大統領の退陣を求めた大規模デモが起こり、直後に「混乱収拾」を理由に軍がムルシ大統領排除を宣言した。そうして、チュニジアもエジプトと同じ道をたどるのか、と注目が集まる中で、「国民対話カルテット」が組織され、与野党の対話を仲介し、新憲法制定と2014年の大統領選挙・議会選挙が実施され、民主化が維持されたのである。

 チュニジアの対話は「穏健イスラム派と富裕層世俗派」の間で行われた。チュニジアでもエジプトでも、独裁時代に政府批判勢力だったイスラム政治組織が革命後の選挙で勝利して政権を主導したが、独裁大統領とその家族、側近が排除されただけで、独裁下の旧支配層はそのまま残っていた。エジプトでは軍とつながる旧支配層にとっての脅威は、慈善運動で貧困層とも結びつき、組織票で4割の議席をとることができる強大なイスラム穏健派のムスリム同胞団そのものだった。チュニジアの旧支配層にとっての脅威は、穏健イスラムのアンナハダではなく、革命後に若者たちの間に広がった過激なイスラム厳格派だった。

 エジプトでは軍と富裕層・世俗派が同胞団を敵視して排除したことで、同胞団が代表していた半分の民意も一緒に排除された。それが、いまもエジプトの政治的混乱として続いている。一方のチュニジアではイスラム政権と旧政権支配層の間では、過激派という共通の敵から市民社会を守るために「対話」が可能だった。対話を経た後の2014年の議会選挙は、世俗派政党「ニダ・チュニス」が128万票(得票率40%)で第1党となり、アンナハダは95万票(32%)に止まり、第2党となった。平和的な政権交代が行われたことが、「国民対話」の最大の成果である。

プロフィール

川上泰徳

中東ジャーナリスト。フリーランスとして中東を拠点に活動。1956年生まれ。元朝日新聞記者。大阪外国語大学アラビア語科卒。特派員としてカイロ、エルサレム、バグダッドに駐在。中東報道でボーン・上田記念国際記者賞受賞。著書に『中東の現場を歩く』(合同出版)、『イラク零年』(朝日新聞)、『イスラムを生きる人びと』(岩波書店)、共著『ジャーナリストはなぜ「戦場」へ行くのか』(集英社新書)、『「イスラム国」はテロの元凶ではない』(集英社新書)。最新刊は『シャティーラの記憶――パレスチナ難民キャンプの70年』
ツイッターは @kawakami_yasu

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