コラム

「金正恩の犬」を返すのはエサ代をケチったから...ではない、文在寅の知られざる真意と泥仕合の背景

2022年11月30日(水)13時58分
文在寅

金正恩から贈られた豊山犬をなでる文在寅(2018年10月) SOUTH KOREA PRESIDENTIAL BLUE HOUSEーAP/AFLO

<金正恩夫妻から贈られた、北朝鮮の特別天然記念物の「豊山犬」。餌代が払えないわけでもないのに、「融和外交の象徴」を今になって返還する理由とは?>

今から4年前の2018年、朝鮮半島では大きな変化があった。この年初めの北朝鮮による突然の南北対話の呼びかけに始まったこの変化は、早くも4月には11年ぶりの南北首脳会談として結実した。6月にはシンガポールで初の米朝首脳会談が行われ、国際社会は急速な動きに注目した。

そして9月、平壌でこの年3回目になる南北首脳会談が行われた。この会談に伴う晩餐会の場で、金正恩(キム・ジョンウン)夫妻は文在寅(ムン・ジェイン)夫妻に写真を見せ、ひとつがいの犬のプレゼントを約束した。「豊山犬」と呼ばれる北朝鮮の特別天然記念物にも指定された貴重な犬である。

2000年に最初の南北首脳会談が行われた際に、韓国の金大中大統領と北朝鮮の金正日総書記が韓国側の「珍島犬」と北朝鮮側の「豊山犬」を交換したことにちなむ申し出だった。

2匹の豊山犬はその後、実際に韓国側に引き渡され、大統領官邸で丁重に飼育された。7匹の子犬が生まれ、うち6匹は「養子縁組」で大統領官邸を離れたという。

それから4年と2カ月を経た今、この豊山犬の存在が「政治問題」になっている。大統領退任後、一旦はつがい2匹と子犬1匹を引き取った文在寅が、国に返還したからだ。

これらの豊山犬は国有財産として登録され、管理経費を国が負担するのが当然にもかかわらず、国はそのための法的整備を行っていない。負担しないなら犬自身を返すしかない、とその論理はシンプルだ。

一国の政府と前大統領が犬の飼育費をめぐって争う。一見醜く世知辛い話であるが、もちろんそれは大統領退任後の文在寅が、飼育費を払う余裕もない生活をしているから、ではない。

韓国では退任後の大統領に対して在任時の報酬の95%に相当する年金をはじめ、手厚い待遇が保証されている。講演などの大きな収入もあり、たかが犬の飼育費が払えないはずはない。

にもかかわらず、文在寅があえて犬の返還を申し出た背景には、現政権への不満がある。現政権は文政権のスキャンダルの捜査を進めており、既に前国防部長官などが逮捕されている。

容疑の中心は北朝鮮との関係であり、南北融和を急いだ前政権が、その妨げとなる情報の隠蔽を違法に行ったのではないか、とされている。

プロフィール

木村幹

1966年大阪府生まれ。神戸大学大学院国際協力研究科教授。また、NPO法人汎太平洋フォーラム理事長。専門は比較政治学、朝鮮半島地域研究。最新刊に『韓国愛憎-激変する隣国と私の30年』。他に『歴史認識はどう語られてきたか』、『平成時代の日韓関係』(共著)、『日韓歴史認識問題とは何か』(読売・吉野作造賞)、『韓国における「権威主義的」体制の成立』(サントリー学芸賞)、『朝鮮/韓国ナショナリズムと「小国」意識』(アジア・太平洋賞)、『高宗・閔妃』など。


あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

アングル:フィリピンの「ごみゼロ」宣言、達成は非正

ワールド

イスラエル政府、ガザ停戦合意を正式承認 19日発効

ビジネス

米国株式市場=反発、トランプ氏就任控え 半導体株が

ワールド

ロシア・イラン大統領、戦略条約締結 20年協定で防
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:トランプ新政権ガイド
特集:トランプ新政権ガイド
2025年1月21日号(1/15発売)

1月20日の就任式を目前に「爆弾」を連続投下。トランプ新政権の外交・内政と日本経済への影響は?

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「拷問に近いことも...」獲得賞金は10億円、最も稼いでいるプロゲーマーが語る「eスポーツのリアル」
  • 2
    「搭乗券を見せてください」飛行機に侵入した「まさかの密航者」をCAが撮影...追い出すまでの攻防にSNS爆笑
  • 3
    【クイズ】世界で1番マイクロプラスチックを「食べている」のは、どの地域に住む人?
  • 4
    【クイズ】次のうち、和製英語「ではない」のはどれ…
  • 5
    感染症に強い食事法とは?...食物繊維と腸の関係が明…
  • 6
    フランス、ドイツ、韓国、イギリス......世界の政治…
  • 7
    オレンジの閃光が夜空一面を照らす瞬間...ロシア西部…
  • 8
    ティーバッグから有害物質が放出されている...研究者…
  • 9
    注目を集めた「ロサンゼルス山火事」映像...空に広が…
  • 10
    「ウクライナに残りたい...」捕虜となった北朝鮮兵が…
  • 1
    ティーバッグから有害物質が放出されている...研究者が警告【最新研究】
  • 2
    体の筋肉量が落ちにくくなる3つの条件は?...和田秀樹医師に聞く「老けない」最強の食事法
  • 3
    睡眠時間60分の差で、脳の老化速度は2倍! カギは「最初の90分」...快眠の「7つのコツ」とは?
  • 4
    メーガン妃のNetflix新番組「ウィズ・ラブ、メーガン…
  • 5
    「拷問に近いことも...」獲得賞金は10億円、最も稼い…
  • 6
    轟音に次ぐ轟音...ロシア国内の化学工場を夜間に襲う…
  • 7
    【クイズ】世界で1番マイクロプラスチックを「食べて…
  • 8
    北朝鮮兵が「下品なビデオ」を見ている...ロシア軍参…
  • 9
    ドラマ「海に眠るダイヤモンド」で再注目...軍艦島の…
  • 10
    【クイズ】次のうち、和製英語「ではない」のはどれ…
  • 1
    ティーバッグから有害物質が放出されている...研究者が警告【最新研究】
  • 2
    大腸がんの原因になる食品とは?...がん治療に革命をもたらす可能性も【最新研究】
  • 3
    体の筋肉量が落ちにくくなる3つの条件は?...和田秀樹医師に聞く「老けない」最強の食事法
  • 4
    夜空を切り裂いた「爆発の閃光」...「ロシア北方艦隊…
  • 5
    インスタント食品が招く「静かな健康危機」...研究が…
  • 6
    TBS日曜劇場が描かなかった坑夫生活...東京ドーム1.3…
  • 7
    「涙止まらん...」トリミングの結果、何の動物か分か…
  • 8
    膝が痛くても足腰が弱くても、一生ぐんぐん歩けるよ…
  • 9
    「戦死証明書」を渡され...ロシアで戦死した北朝鮮兵…
  • 10
    「腹の底から笑った!」ママの「アダルト」なクリス…
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story