「障がい差別社会」に移民受け入れの覚悟はあるか?
そもそもこうした支援の場に経済効率的発想を持ち込むのは全くの筋違いで、持ち込んではいけない分野がこの社会にはあるはず。大変な現場であるからこそ、教職員の数も彼らへの手当も充実させる必要があります。コストカットでカツカツになった人たちに他者への配慮をしろと言っても今度は教職員の側が参ってしまいます。余裕があればこそ人にも余裕を持って接することが出来る、人間はそんなに完璧ではありません。
ワタクシは団塊ジュニアとほぼ重なる世代で、団塊の世代ほどではありませんが公立の中高時代、クラスは大人数で40名を下回ったことがありませんでした。当時はやがて少子化となれば、少人数クラスが実現し一人一人の生徒に合った、もっと余裕のある充実した授業になると言われたものでした。ところがいざ、少子化になると、少なくなった若い世代の教育を大切にするどころか、ここでもコストカットが横行する始末。
例えば我が国の教育機関に対する公財政支出(国及び地方政府が教育機関に対して支出した学校教育費及び教育行政費、奨学金は含まない)の対GDP比は、OECD加盟国(31か国)中最下位となっていることは平成24年版子ども・子育て白書でも指摘されています。こうした国際比較をすれば教育費の拡充こそすれ削減はありえないはずですが、財政健全化計画の名の下に教員人件費の国庫負担削減額などを盛り込むというのですから、日本の国家としてのグランド・デザインはいったいどこにあるのかと首をかしげるばかりです。健常者の教育現場の余波は当然、弱者の教育・支援現場にも及んできます。
弱者を蔑ろにすることの延長には何があるか。今回のパリの事件が起こる前、今年の1月にフランス・パリにある風刺週刊誌「シャルリー・エブド」本社を襲撃する事件が発生しました。繰り返しになりますが、テロを肯定しているわけでは全くありませんし、いかなるテロ・戦争も強く糾弾する立場であるのに変わりはありません。その問題とは切り離して、テロ実行犯はフランスで生まれ育った移民の兄弟であり、社会的弱者としてのそのあまりに過酷な生い立ちに驚き、最初はネット上の風説の流布かと疑う程でしたが、「シャルリー・エブド事件を考える ふらんす特別編集」にも同様の解説があるのを確認しました。
現在、フランスで暮らすマグレブ系移民の2世(殆どの場合、親の出身国とフランスの二重国籍)の男子は約35%、女子は約25%が数世帯前からのフランス人と結婚しており、こうした数値は英米よりも遥かに高くなっています。自分の子供がアラブ系配偶者を持つのは嫌だというフランス人は27%という比較的低い水準で、若い世代の5人に1人の親は外国籍。移民差別は社会的現実として存在しますが、しばしば日本で想像されているような形のとんでもない排除が行われているわけではなく、民族の混ざり合いが進んでいるのがフランスです。そして、社会保障そのものが日本とは比較にならないほど充実している中で、社会的給付等の平等性は外国籍の合法移民にも保障されています。それでもなお問題が発生しているのです。
この筆者のコラム
アメリカの「国境調整税」導入見送りから日本が学ぶこと 2017.08.04
加計学園問題は、学部新設の是非を問う本質的議論を 2017.06.19
極右政党を右派ポピュリズムへと転換させたルペンの本気度(後編) 2017.04.13
極右政党を右派ポピュリズムへと転換させたルペンの本気度(前編) 2017.04.12
トランプ政権が掲げる「国境税」とは何か(後編) 2017.03.07
トランプ政権が掲げる「国境税」とは何か(前編) 2017.03.06
ブレグジット後の「揺れ戻し」を促す、英メイ首相のしなやかな政治手腕 2016.12.26