「障がい差別社会」に移民受け入れの覚悟はあるか?
パリ同時テロの背景にはヨーロッパのアラブ系移民に対する差別や貧困問題があると指摘されている Yves Herman-REUTERS
まずはこの場を借りまして、パリそして世界中で戦争、紛争やテロで犠牲になられた全ての方々に哀悼の意を表します。
テロは許されざる行為であるのは間違いなく、短期的には国際社会としての対応(脊髄反射的反応ではない)が求められるのと同時に、「テロとの戦い」の一言で有耶無耶にされたあの時代と同じ轍を踏むこともまた避けられなければならないはず。真摯な議論と冷静な判断が今だからこそ我々には求められており、その中で長期的には「多様性をどう考え、受け止め、尊重していくのか」を考えることが事態を未然に防ぐためには必要と思うわけです。
テロのニュースの合間にということになりますが、障がい児の出産「茨城では減らせる方向に」(その後、撤回)とのニュースが流れてきました。こうした優生思想的発想は残念ながらこれまでも度々出て来たため、またかとの思いにかられつつも、発言の当事者を見れば県教育委員であり、支援学校の様子を見てきた上での発言とのこと。しかも絵画の世界に長らく身を置かれてきたキャリア。発言の内容自体が受け入れがたいのはもちろんながら、強烈な違和感を覚えました。
「こういう事を平気で仰る人の方が、この方が考える障がい者より圧倒的かつ致命的に何か欠落してると思いますが、そんなあなたをこの社会から排除しましょうなどと、私はあなたには言わない。」とツィッターで書き込みを早々にいたしました。それを踏まえた上で。
ご自身は社会的弱者ではないし、今後、そういった立場になられるだろうとの発想も皆無の様子。この方だけではありませんが、自分の思慮の欠落した部分は棚の上に置いて、ご自身こそ完璧な人間かのような完全なる上から目線を貫く。完全・完璧な人間などいるはずがないにもかかわらず、こういった類の発言を見るたびに、いったいどこからそうした自信が出て来られるのか全く持って不思議でならないわけです。
障がいを抱える子供を育てるのは、健常者とされる子供たちの育児に比べて、人の手がかかることが多いのは事実です。それを「可愛そう」であるとか「気の毒」であるとの範疇に入れてしまうのは的外れですが、面倒を見る家族にしても肉体的、精神的にギリギリに追い込まれること(これは子育て全般に言えることですね)がある中で、地域に根差した支援学級などの手厚いサポートでどれだけの人たちが救われているか。そうした現場をご覧になったにも関わらず、そこに携わる教職員の数が多く大変な予算だろうと、経済効率性を重視したコストカットを暗に仄めかす。
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